『露光の森』
第一章 巨大な水道管を眺めていた
第二章 黄色い折りたたみ傘
第三章 乳白色の月
第四章 北の集落
第五章 露光
第六章 木が、風が、地面の感触が、
第一章 巨大な水道管を眺めていた
目が覚めた。天井が見える。白い天井だ。若い人間の都会での一人暮らしによくあるような、小さなアパートの一室。そんな一室によくあるような、少しだけごつごつとした白い壁紙が貼られた天井と、直接べたっとつけられたような半球状のドームの形をした無味乾燥な照明が見えた。
行かなければならないところがあったような気がする。打ち合わせをしなければいけなかったような気がする。どこかの誰かとかしこまった空気で何かの話をしなければいけなかったような気がする。
今、時間は何時だろう。まだ大丈夫だろうか。大丈夫ということにして重力に従って瞼を下ろし、このねっとりした眠気に身を任せたい。が、そうはいかない。ひとまず時計を見よう。スマートフォンの電源ボタンを押す。つかない。そうか、充電切れか…。昨日動画を見たまま寝てしまったからだ。よし、それなら、もう一度寝ようか。いや、起きるしかないだろう…。
相手のいないプロレスのような議論を終止し、やっと重い体を自分の腕で支えるようにして持ち上げてやった。
とりあえずスマートフォンを充電器につなげておいて、歯を磨きに行く。歯を磨き終えて着替えを済ませたら、トーストを焼く。三分半で少し焼けすぎたくらいがいい。三分半の間に目玉焼きを焼きつつ、コーヒーを淹れる。目玉焼きは弱火でじっくり焼くのが美味しいから、早めにフライパンに落としておいて火にかけておく。今日はエチオピアのコーヒーにしよういつもの使い慣れたドリッパーの円錐めがけてゆっくりとお湯を注ぎながら、目玉焼きの様子を伺う。それぞれの料理と飲み物が大体同じくらいに出揃うと、気持ちがいい。目玉焼きは塩、粗挽きにしたばかりの胡椒、バジルをかけて食べる。美味しい。コーヒーは最後に残しておいて、白くて少しだけゴツゴツとした部屋の壁紙を見つめながら、何も考えずにゆっくりと飲む。これが朝の癒し。ぼくの日常を取り戻していく行為。これでよかった。これがよかった。
壁を見つめることにうっとりとしていたら、時間のことをすっかりと忘れていた。壁を見つめていると安心してきてしまって、すっかりと油断していた。充電されて電源がついたスマートフォンを手に取る。時間は8時になる前だ。よかった、この時間にはまだ何も予定はないはずだ、と胸を撫で下ろす。スケジュールアプリを見て予定を確認した。今日は誰との約束もなかった。そもそもが杞憂だった。だけどこの緊張感のおかげで朝早く起きることもできたし、さらに美味しいコーヒーまで飲めたんだから、よしとしよう。
ここ最近、毎日何をしたらいいか分からなくなっているような気がする。仕事が手に付かず、どんどんと仕事ができる量が減ってきている。ぼくは会社員でなくフリーランスとして仕事をしているので、自分が生きていけるかどうかは、自分が取り組んだ仕事の量そのものに直結するわけだが、以前に比べてとんと仕事に取り組めない。以前は、暇さえあれば仕事をしていた。自分がやりたいと思い立ったことの勉強をして、技術を高めて、それを仕事にしてきたので、仕事は自分の好きなことだと思っていた。ぼくにとって働くことは趣味だった。その趣味である仕事に手につかなくなってきて、空いた時間にぼくは何をしたらいいか分からなくなってしまったから、仕方がなくこうやって朝ご飯をゆっくりと食べて、椅子に座ってコーヒーを飲みながら部屋の白い壁の細かいごつごつをじっくりと見ていくことに終始しているのだった。
突然、電話が鳴った。仕事のクライアントからだ。まだ起きたばかりなので誰とも話したくない。ぼくはこんな早朝に電話をとる社会的なマナーもないだろう、と判断した。狭いワンルームに長らく反響する着信音を、その周波数だけが聴こえていませんというような顔をして、ぼくはコーヒーを飲みながら壁を見つめている。電話が鳴り止んでから、折り返しでメッセージを返しておいた。どうやらまた修正の要望があるらしい。ぼくのミスであるような感じもするし、相手の考慮不足であるような感じもする。仕事というのは、大体がどちらのせいかという判断をするのが難しい。どちらのせいであるかを明確にするために、色々な決め事をしておいたり、短編小説くらいある長さの契約書を創作したり、ここは私側は抑えていますからという予防線を張っておくようなコミュニケーションを繰り出したりする。こういうプロレスのようなプロセスを通して、日々の仕事というものは円滑に進んでいくものなのだ。それが社会。社会全体が超大型のコントのように動き続けていて、自分もその中にいる役者の1人。もっと演技を上手くできるようになりたい。すなわち、もっと仕事ができるようになりたい。そんな自分の素晴らしい向上心や、その裏側にある焦燥感とは逆光していくように、ぼくの体は日に日に動きづらくなっている。最近は、重たくなって、まともに演技することすらままならなくなってきているような気がする。これはまずい。仕事相手、友人、家族、みんなにこのぎこちなさはバレていないだろうか。多分まだ、大丈夫。取り戻せるはずだ。
今日のぼくの午前中の時間の使い道は、さっきの電話により決定してしまった。早めに修正しておこう。どちらのミスでもなく、そしてどちらのミスでもありそうな事柄だから、そういうことは誠意を持って取り組むのが、仕事を円滑に進める原則だ。そんなことが契約書にも書いてあったはずだ。確か「第X条、トラブルが起こった際は、お互いが誠意を持って解決するように最大限努力しましょう何とかかんとか…」みたいな文言だったと思う。詳細は思い出せないが、契約書の第X条を見返す必要はない。契約書とはそういうものだ。トラブルが起こった時のためのものなのだ。トラブルを起こさなければいいわけだ。
ひとまず社会一般的な始業時間あたりの時刻になるまでは仕事をしなくても大丈夫。きっと許されるだろう。というよく分からない暗示を自分にかけながらぼくは、コーヒーを飲んで、白い壁を見つめる作業に戻った。エチオピアのコーヒーを飲んで、タバコを吸いながら、白い壁のごつごつとした隆起を一つずつ詳細に見ていく。そうしている時が、今は一番楽なのだった。これは、ぼくの唯一の癒しの時間。もう少し、もう少しだけこの時間に浸っていたい。そのくらいはぼくの人生を生きるのに、ぼくの時間を使ったとしても、許されるだろう。許してくれるだろう。
白い壁を見つめながら、ふと、どこか遠くに行こうと思った。幸いにも今日の午後の時間は、まだやるべき仕事で埋められていない。午後からでもいい。出来るだけ早く、どこか、遠くに行こう。理由は分からないが、行きたい、というよりも半ば行かなければいけないという感覚に近い。自分のことを知っている人のいない場所。自分のことが何者かに知られていたとしても、それは、ひっそりと共に行きていくことを遠い遠い昔に約束し合った生き物しかいない場所。動物や昆虫や植物だけがいるような場所。
午前中いっぱいかかるだろうと踏んでいた追加修正の仕事は、二十分ほどであっけなく終わってしまった。世の中の九割の仕事というものは、大きく二種類に分類される。一つは、「これは大変だぞ。」と心の中で強く思い込んでいたものが、想定の三分の一番ほどの時間で片付いてしまい、あっけにとられるような性質の仕事。そしてもう一つが、「1時間でちゃちゃっと済ませて今日はビールでも飲むかぁ。」なんて思って手をつけたら、3時間もかかってしまった、というような性質の仕事だ。ぼくの今日の午前中の仕事は、前者に分類されているというわけだ。自己判断での大変度合いを、過度に引き上げてしまっていたようだ。でもこれも、よくあること。だからぼくはもう、こういうことであっけにとられることも、びっくりするようなことも、すっかりなくなってしまった。ぼくはパソコンを閉じて、冷静で落ち着いた表情をして、もう残り少なくなってしまったコーヒーを一口飲んだ。
さて、どこに行こう。今日向かう場所について、まだ「遠い」という至極曖昧な基準でしか決まっていなかった。そう、あとは「知っている人がいない」ということだ。そこまで考えていて、気になっていた場所を思い出した。秩父だった。一度秩父には友人と旅行に行ったことがあった。その旅行では秩父の中心部に滞在していたのだが、以来、山間部の方面にもいつか行ってみたいと思っていた。秩父はお遍路が有名らしく、ぼくは特にお遍路に強い興味があったわけではないのだが、やりたいことがあるわけでもなかったし、能動的に観光地を回っていくような体力はないと思ったので、宿で手持ち無沙汰になるくらいなら「歩く」というやることがあるだけ有り難いと思ったのだった。秩父について簡単に調べて、三峯神社という場所に行ってみることにした。日帰りだと帰るのが深夜になってしまいそうだったので、現時点では(朝8時半にクライアントから突然、追加の修正を所望する電話がかかってこなければ)明日の予定がないことを確認してから、三峯神社へのお遍路の道の手前くらいの場所にあった適当な宿をとっておいた。荷物は最小限がいいと思ったが、パソコンは念の為持っていくことにした。旅行中いつ電話が鳴るか分からない不安を取り除いてくれる、お守りみたいなものだ。これさえあれば旅先でも、すぐに修正の仕事だってできる。着替えは最小限。お気に入りの煙草と、キャンプ用のコーヒー器具と、本は欠かせない。それだけの荷物をリュックに詰めたら、少しだけ残っていたコーヒーを飲んで、早々に家を出た。
秩父駅には、都内のアパートを出発してから、二時間弱ほどで到着した。昼食は駅のコンビニのおにぎりで済ませた。秩父は、思っていたよりも近かった。世界の全ての場所が、今は近くなりすぎてしまっているように感じた。
そのまま秩父駅で電車を乗り継いで、宿の最寄り駅まで着いた。ここから山間部の方面に二十分ほど歩いた場所に、今日宿泊する宿がある。駅前には蕎麦屋があった。ぼくは、こういう場所で営んでいる蕎麦屋のことがとても好きだと思った。ここに来てよかった。家から二時間で着いてしまったときには多少不安になってしまったが、選んだ場所がおそらく間違っていなかったことを感じ、少し安心した。もっと観光地になっていて人が多かったりしてしまって、自分の来たかった場所ではなかったらどうしよう…と不安な気持ちになりながら二時間電車に揺られていた。多分、来てよかった。
駅から二十分ほど山の間を歩いていたら、宿についた。ホテルではなくゲストハウスという呼ばれ方が似合うような場所で、入り口を跨いだすぐのところに土間があり、土間には薪をくべるタイプの古い暖炉があった。気取らない、いい雰囲気の宿だった。共有スペースのような場所の、片付けが行き届いていないところも、嫌いじゃない。その宿は山の斜面に建てられており、入り口から入って、1階分下がったところに客間があるという変わったつくりをしていた。オーナーと思しき四十代くらいの男性は、柔らかくてカジュアルな雰囲気の人だった。この地域に住んでいることの似合う人だと思った。
チェックインを済ませると、オーナーに案内されて、はしごと呼んだ方がよさそうなほどに急な階段を降りて、廊下を進んだ。客間の前に着き、引き戸を開ける。部屋の向かい側は、横にも縦にも広い窓になっていて、窓を開けると左右に見える2つの山の斜面の間を、大きな川が流れていた。ウッドベースのように低音で鳴り響いていた音が、最初何の音なのか分からなかったが、その音に意識を向けて耳を澄ませてみると、それが川の音だったことが分かった。近くにいると分かるが、川はとても大きな音がする。そのことに、驚いた。そんなことも忘れていたらしい。そして、そんなことを忘れていたことにも、驚いていた。
「お客さん、小説でも書くんですか。」
部屋で案内を一通りきき終えたあと、物腰柔らかい宿のオーナーに尋ねられた。どうせ誰と会うわけでもないと思い、身だしなみもろくに整えず家から早々に出てきてしまったのだが、それがそういう風貌に映ったらしい。ぼくが、
「いやいや、そんなことはないんですよ。」
と、当たり障りも、面白みも、そのどちらにも欠いたような返事をしたことで、会話のキャッチボールはほぼ一投ずつで終わった。
人と沢山話すような役を想定せずにここに来てしまったので、会話を盛り上げるようなことは今は出来なさそうだ。事前に役を想定させてもらえれば、すなわち、「宿には物腰柔らかな40代男性のオーナーがいまして、私は身なりも整っていない、ある人にとっては物書きに勘違いされることもあるらしい風貌で、秩父の山奥の古い暖炉のあるその宿をふらっと訪れるのでした。」のような台本を事前にもらえれば、いくらでもこの会話も盛り上げられるんだけどな、などと考えながら、マナーとしては最低限の、そしてその場で取り繕った役にしては最大限の愛想を込めた返答をした。
危なかった。この人にもぼくの最近のぎこちなさが、バレてしまうところだった。うまく演じることができなくなってしまう症状は、どうやら快方に向かってはいなくても、悪化には向かっているようだった。頭が愚鈍になっていくような感覚がある。ぼくは自分のことを、もっと頭がよくて、もっと器用な方だと思っていた。
合計三時間ほどの移動と、先程の会話での最大限の愛想の発揮により少し疲れてしまったと思った。チェックインが済んだら、部屋で1人でゆっくりしたい気分になった。三峯神社へはここからしばらく歩く必要があるし、今日はもうそんなに時間もなさそうだ。明日にしよう。そう決めてしばらく部屋で、リュックに詰めてきていたフランツ・カフカの『変身』を読み始めた。主人公の青年カフカは、ベッドの上で自らに起こった体の変化を確かめるようにしながら、必死に四肢の動く部分を探っている。すぐに本を読むのにも飽きて窓の外を眺めていたら、散歩がしたくなったので、外に出てみることにした。
宿は山間にあり、周辺に建物はない。一応宿の前の道はアスファルトで舗装されていて車は通れるが、交通量は多くないようだった。宿の裏手はすぐに山の斜面になっており、歩いて裏手に回ってみると山の奥の方に続いていく小道があった。時間もあるし手持ち無沙汰だったので、その小道を気が済むまで歩いて進んでいってみようと思った。理由は分からないが、とにかく山の奥の方へ行ってみたい、という気分になった。しばらく小道を歩いていると、フェンスが見えた。続いて、フェンスの中に大きなコンクリートのような物が見えた。コンクリートは山の斜面に沿って、上の方まで敷かれている。フェンスの近くまで寄って覗いてみると、そのコンクリートが支えていたのは、巨大な鉄製の土管のような管だった。管は、山の頂上付近から、地上の方まで続いているようだった。山奥に歩みを進めていた自分が、圧倒的な大きさをもった人間の人工物と出会ったことに驚いて、しばらくその管を上から下の方まで呆然としながら眺めていた。
この管がなんの役割の人工物なのかについて、斜面を管に沿って、少し上の方まで歩きながら考えていた。途中でこれが、水力発電の水道管であることに思い当たった。宿の手前で、水力発電所の注意書きの看板のようなものを見かけたことを思い出したからだった。ぼくは今日、クライアントからの電話を受け(正確には受けていないが)午前中の20分で追加の修正の仕事を済ませて、遠くに来たいと思い家を発ち、この秩父の山奥に来た。そしてその山奥で、東京のあの夜の明るさを生み出している根のような管の這うこの場所に辿り着いた。世界はもうこんなにも近くなってしまっているんだ、と思った。
ぼくは普段、フリーランスとしてプログラマーの仕事をしている。企業のWebサイトをつくったり、その裏側で動いているシステムをつくる仕事だ。学生の頃は物理が一番得意な科目で、大学ではコンピュータサイエンスを専攻していた。ぼくはそれくらいの根っからの理系であったので、科学技術やテクノロジーと呼ばれるようなものが大好きだった。
そして今、この巨大な水道管を隅から隅まで眺めながら感じているこの高揚感は、これまで感じてきたものと同じ感情。科学技術の生み出す、きらきらとした明るい未来への希望。元来生き物が活動できないはずだった夜の暗闇をさえ制圧した、テクノロジーへの憧憬。
だけどなぜだか、今は素直に高揚だけしておくことができない。むしろ、今感じているこの高揚感はとても不安定で、ぐらぐらとしている。一歩足の置き場を踏み違えてしまうだけで、簡単に底に転げ落ちていってしまう。今はきらきらとした希望よりも、その明るさによって射影された、影の方が長く伸びている。もうぼくは、随分とぎこちなくなってしまっているようだった。
水道管を見ているとどんどんと落ち込んできてしまいそうだったので、早々にその場を去ることにした。山奥に行きたいと思っていた気持ちも落ち着いてしまった。お腹が空いてきたのもあるかもしれない。どこかでご飯を食べよう。宿の周辺にご飯を食べられるような場所はなかったので、宿の最寄り駅の前にあった蕎麦屋に行くことにした。
この駅は蒸気機関車に乗れることで有名らしく、蕎麦屋には蒸気機関車に乗りに来たのであろう家族が1組と、男性3人のグループが1組いた。人の賑わいのようなものを感じて、少し安心した。この安心感を得たくて、二十分かけてここまで歩いて来たのか、なるほどと納得するような気持ちになった。
頼んでいた蕎麦がぼくの机に置かれた。手を合わせて声を出さずに頂きますと言ってから、早速箸を手に取った。ぼくは蕎麦が好きだ。うどんも好きだが、蕎麦には孤高の雰囲気がある。うどんは地域性が重要視されているが、蕎麦は地域性よりも、唯一無二の定められたとある1つの頂きを目指しているという作り方がされているのではないかと思う。「地域ごとに違いがあって、楽しいよね。」という考え方ではなく、「至高の逸品を目指していますから。」というような考え方である。地域文化でなく、江戸文化なのだ。ここに蕎麦とうどんの文化性の違いがあり、ぼくは孤高の逸品を目指している蕎麦の方に共感するところがあった。そんな、身勝手な蕎麦への届かないであろう告白のようなことを頭の中で思い浮かべながら、頼んでいた瓶ビールを飲みつつ、きつね蕎麦を完食した。蕎麦湯が来ていなかったので、頼んだ。蕎麦というのは最後の蕎麦湯を飲むために完食を目指していると言っても過言ではないというくらいに、ぼくはこのつゆの蕎麦湯割りが大好きだ。ビールでじんわりと麻痺してきた頭と体に、つゆの塩分が染み込んでいく。
一時の幸福感を堪能してから、会計を終えて、店を出た。駅の周辺には、シャッターの閉まったお土産屋以外には他にお店らしき建物もなかったので、まだ時間は早かったが、宿へ帰る道を歩き始めた。水道管のことを思い出した。あの大きな管のことを考えると、なぜだか鬱屈とした気分になってくる。だから本当は、今日はもう一軒、居酒屋か気楽なバーのような場所に行きたい気分だった。そして、そういう機会がないような場所を望み、選択してここに来たのは他でもない自分だったことに思い至る。何のために今ここに自分がいるのかが、分からなくなってきた。ここに来なければ、午後にはあの仕事のプログラムも作れただろうし、処理しなければいけない経理の仕事も出来たはずだった。以前勤めていた会社の同期だったあの優秀な友人はこの時間も技術の勉強をしていて、ぼくなんかよりもっと素晴らしい仕事を今まさに仕上げようとしていて、それを明日なんかにはSNSで発表しようとしているかもしれない。そんなことを考え始めると、自分がどんどん情けなくて惨めに見えてくる。ここでぼくは、一体何をやっているんだろう。
宿の部屋に戻ってきても、依然としてどんよりとした気分に包まれたままだった。話せる人もいないし、酒もないし、部屋では煙草も吸えない。とはいえおまもりとして持ってきたパソコンを開いていざ仕事をしようか、という気にもなれない。スマートフォンを開いても、SNSくらいしか見るものがない。SNSから入ってくる情報は、ぼくを一層不安感に駆り立てて、惨めにしてくる。それでも何もせず部屋に佇んでいると焦燥感だけが募っていく一方なので、カフカの『変身』の続きを読むことにした。読み進めるほどにぼく自身が、役に立たない虫けらのような見た目になってきているような気持ちになってしまい、さらに気分が沈んだ。こういう時に手軽な気晴らしとして読む本ではなかった。ここに持ってくる本の選択を間違えた、と思った。でも、また、この本を選んでリュックに詰めたのも、ぼくだった。この鬱屈とした気分を気軽に紛らわすことのできるものは、ここには何もなかった。そういうものがない場所を選んでここまで来たのだから当たり前なのだが、ぼくはすでに後悔し始めていた。もう寝よう。それしかない。これから始まる長い夜と、うまく付き合っていこうと努力するほどに悪化させてしまうくらいであれば、多少時間は早くても、いっそ今日を終わらせてしまった方がいいだろう。木の床に直接敷かれた布団の中に入り、ぼくはこの日を終わらせた。
朝になった。日の光で目が覚めた。いつもかけているスマートフォンの目覚ましのアラームは、今日はかけていなかった。予定もなかったので、いつ起きてもよかった。かしこまった話をしなければいけないのではないかという不安からくる、いつものあのまどろみとの不毛な戦いも、今日はなかった。思う存分に寝て、体と頭が睡眠に満足したときの合図として、自然と日の光で目が覚める。もう寝るのには満足した、というような気分になって目覚めたのは、すごく久しぶりのことのような気がした。こんな気分があることなんて、とうの昔に忘れていたような気がする。もう思い出せないくらい昔のことであることだけが分かる。不思議と、水道管のことを思い出しても、昨日よりも気にならなくなっていた。
ゲストハウスの、宿泊客が共有して使うキッチンに置いてあった電子ケトルでお湯を沸かした。持ってきていた手挽きのミルで、ケニアの浅煎りの豆を粉にしていく。お湯が沸いたら、コーヒーの粉を入れたドリッパーに注いでいく。旅先でコーヒーを淹れる時には、お湯を少しずつたらしていくようなコーヒードリッパーではなく、キャンプ製品をつくっている会社が開発した、持ち運びに特化した器具を使うようにしている。ドバっとお湯を注げばコーヒーが淹れられるし、フィルターの紙もかさばらず、気持ちいい。キッチンの棚に並んでいたマグカップを1つ手に取り、出来上がったコーヒーを注いだ。
部屋に戻って、大きめのちゃぶ台のようなテーブルで、昨日朝ごはん用に買っておいたコンビニのパンと一緒に、コーヒーを飲む。開け放った大きな窓からは、ゴゴゴゴと低い音程で鳴る川の音がきこえる。今日は白い壁のゴツゴツの代わりに、その川を流れている水の隆起を、ぼくは見つめている。ケニアの浅煎りのコーヒーは、オレンジのようなぎゅっとした明るい酸味を感じた。一週間前に、買ったばかりのこのコーヒーを家で飲んだときには、自分には明るすぎるとも思ったが、むしろそれが今日は、ぼくを素直にさせてくれるような感じがした。
ふと不安になってスマートフォンを確認した。着信はなかった。安心した。今日は何も仕事のことを考えずに、神社まで山道をゆっくりと歩こう。それだけでいい。何て気持ちのいい1日。コーヒーを40分くらいかけてゆっくりと飲み終えてから、荷物をリュックに詰め直して、宿を後にした。チェックインは鍵を指定された場所に置くだけだったので、あの気さくなオーナーと話すこともなく宿を出た。少し寂しい気もしたが、安心した。
宿を出て、舗装された道を山の形状に沿ってくねくねと道なりに蛇行しながらしばらく歩いていた。左側を見下ろすと、大きな川が流れてる。その大きな水の流れを感じながら歩いていた。この水が流れていく力によって、どこかで歯車が回されて、回された力は今度は電気に変えられて、ぼくの住む街の暗闇が昼になる。またあの大きな水道管のことを思い出してしまって、どんよりした気持ちになった。
歩きながらスマートフォンで地図を確認していると、山を少しばかり登ったところに、小さな集落があることに気付いた。その集落に行ってみたいと思った。道が分岐している箇所に辿り着いたところで、山に登っていく細い道を進んでみることにした。今日は時間がたっぷりあるから、寄り道をしても大丈夫だろう。しばらくその坂道を登っていくと、集落についた。人口100人もいない村のようだ。家屋には人が生活をしている痕跡はあるのだが、今この村に人間がいるという気配が全くなく、その村の入り口から集落の終わるところまで散策している間、1人の人間ともすれ違わなかった。
村の入口にあった看板で、近くにトンネルのようなものがあるらしいことを知ったので、そこに行ってみることにした。トンネルまでの道は舗装もされていない山道で、背の高い針葉樹が綺麗な間隔で並んでいる。その道に踏み入れた瞬間に、気温がぐっと下がるのを感じた。これ以上先に進むと、もう帰って来れなくなるかもしれない、という感覚がした。ぼくは林の中に足を踏み入れた。
しばらく針葉樹の林の中を歩いて進んでいると、突然視界が開けた場所に出た。目の前に、見上げても頂上が見えないほどの山の岩壁が現れた。その岩壁に、高さ4m、横幅3mほどの大きさの穴が、ぽっかりと空いている。想像していたような、綺麗な半円筒状にくり抜かれてコンクリートで舗装されたようなトンネルではなく、岩肌がそのまま露出してアーチになっているような、トンネルというよりは洞窟に近い印象を受けるような穴だった。大きな穴からは、山の向こう側から差している光が見える。このトンネルは、秩父への移動をするための通り道として、明治時代中期に人の手によって掘られたものらしかった。手で掘られたトンネルというものを、多分ぼくはそのとき初めて見たので、それをぼくが生きていなかった時代にどういう人が掘って、どんな使われ方をしていたのか、うまく想像することができなかった。
なぜか、そのトンネルを通って向こう側に行くのが怖かった。一度入ってしまうと、もう戻れなくなってしまうかもしれないという感じがする。それでも、もう、行ってみること以外に選択肢はなくなっていると思った。自分の好奇心が、向こう側に足を踏み入れてみよ、と駆り立てている。ぼくは仕方なく歩き始めた。
トンネルは思っていたよりも短く、すぐに向こう側に出てしまった。あっけない感じがしたが、そういうものだろう、と思った。
その道をそのままに進んでしまうと三峯神社とは反対方向に向かってしまうことになるため、戻ることにした。再びトンネルに足を踏み入れて、岩肌を眺めながら歩いていたら、またすぐに元の入り口に着いてしまった。あんなに怖がっていたのに、しっかり元の入り口に、あっけなく帰って来てしまった。
トンネル以外に見る場所があるわけでもなかったので、もともとの目的地である三峯神社へ向かう道に戻ることにした。ひんやりとした針葉樹の林を抜け、人の気配のない村も抜けて、山を下る。分岐した道のうち、今度こそ三峯神社へ続く道を選んだ。
しばらく歩いていると、小さな町に着いた。かつてはお遍路の途中で滞在する宿町として栄えていたようで、広くてなだらかな川に沿って、旅館の看板がいくつか見えた。そのうち1つか2つくらいはまだ営業もしているようだった。この宿町が、三峯神社への参道の入り口のような役割になっているらしかった。建物が20棟ほどだけ立ち並ぶほどの小さな町であり、そのうちの多くのお店がその日は営業していなかったにも関わらず、町は旅人を送り出す威勢のいい空気の名残に満ちていて、ぼくは不思議と安心した気持ちになっていた。誰かが大切な場所に行こうとすることを、他の人間が暖かく見守っている。今その人がやろうとしていることが、どんなことであれその人自身にとっては大切なことであるということが尊重されている場所。何のために秩父に来たのか分からなくなり始めていた自分に、意味を感じさせてくれていると思った。より正確に表現すると、意味なんて必要なかったんだという気持ちにさせてくれた。何かと遭遇したときにそれが本当に自分にとって大事なことなのかどうかを見分けることのできる唯一の条件は、無条件さであると思った。
ここから始まる神社への道のり。その出発点のシンボルであるかのように、宿町の中心には立派な鳥居が立っていた。ぼくは鳥居をくぐり、町を抜けた。町を通り抜けたところに、紅色の橋がかかっていた。広い川の向こう側に渡る橋だった。橋の真ん中のあたりまで来たところで、しばらく川を見ていた。大きな岩の塊が、その岩壁によって、緩やかでよどみのない川の流れをつくっている。あの大きな水道管のことがまた頭をよぎったが、段々と気にならなくなってきていた。ここにはその管はなかった。
その時、電話が鳴った。昨日の朝のクライアントからだった。頭の中で瞬間的に電話に出ないことも検討してみたが、今度はそんなに早朝というわけでもなかったので、仕方なく出た。再び修正が必要になったとのことだった。今度は追加の要望であるので、今回こそは相手の都合であることは明確だろう。その上、緊急での対応が必要とのことだった。いつものあの、とても丁寧な口調と、誠実さを感じさせるほどの謙虚な姿勢だった。ぼくはこういうときに誰かから期待されたことを断ることが、とても苦手だ。ぼくは「任せてください。」と返事をして電話を切った。丁度真ん中まで渡った橋を、元の場所まで歩いて戻っていった。
宿町にあったおそらく唯一のカフェ(というより、田舎の宿町にあるような広めの茶屋と表現した方が適当かもしれない)で、「注文はするので…」と店主の方に断りを入れて、少しそこで仕事をさせてもらうことにした。リュックからノートパソコンを取り出し、開く。三十分ほどで終わると思ったが、二時間弱かかった。今度はぼくの仕事の分類理論における、後者に該当する仕事だったようだ。そんなこともあるさ。」と声に出さずに呟きながら、ぼくは冷静な顔をつくって、カフェオレを一口飲んだ。
そのままその店で昼食を食べることにした。時間が遅くなり始めていたので、これから歩いて神社に向かうと、今日中には帰れなくなりそうだった。もともと神社に強い興味があったわけではないのでそこまで執着を持てず、お昼ご飯を食べ終えたらすぐに東京に戻ることにした。
宿町から出ていたバスを乗り継いで、昨日泊まった宿の最寄り駅に着き、そこから二時間半で東京駅に着いた。ぼくのアパートまで電車で戻っていく。自分の部屋の前に立ち、鍵を開けて、ドアノブに手をかけた。またあっけなく元の入り口に戻って来てしまった、と思った。
その日は長い距離を歩いて体も疲れていたので、早めに寝ることにした。明日からまた仕事に打ち込もう。たくさん活躍しよう。
第二章 黄色い折りたたみ傘
その翌日から2週間ほど、毎日仕事に懸命に打ち込んだ。秩父に行っていた時間を惜しむように、そしてどこからか生まれ続けてくる漠然とした不安感を取り払うように、毎日成果を出した。より重要な仕事をやり遂げたいと思った。そう思って仕事に打ち込めるほどに、クライアントからの信頼感も増している実感があった。その結果として、この2週間で3つも新しいプロジェクトの相談を受けた。そのどれもが取り組みがいがあり、予算もそれなりにありそうだった。誇らしかった。そして何より、自分がこれまで経験してきた技術を活かせる部分と、未知の挑戦である部分のどちらも含んだプロジェクトであったため、確実に結果を出しつつも、自分を成長させてくれそうな内容だと思った。
その3つのプロジェクトを受けるかどうか、そして受けるとしたらそれぞれをどんな見積もりやメンバー、スケジュールで提案するかなどについて検討していた頃、小学校と中学校で同級生だった友人から、突然メッセージが届いた。SNSではお互いにフォローはしているが、連絡もとったことはなく、ぼくは彼女が今はコンテンポラリーダンスのダンサーをしていることくらいしか知らなかった。学校でも仲が良かったというわけでもなく、必要なこと以外ではあまり話をした記憶もなかった。確か秋山さんという名前だった。メッセージのやりとりをして、三日後に彼女とコーヒーに行くことになった。
三日経ってもぼくは相変わらず3つのプロジェクトの計画に頭を悩ませ続けていた。それぞれのプロジェクトがそれなりに複雑で、適したメンバーを集める必要もあり、それなりに期間もかかる。どうやったら円滑に進めていくことができるのかについて策を巡らせていたが、納得のいく計画案には辿り着けていなかった。今日は午後から、秋山さんとコーヒーに行く予定がある。本当はこの午前中にプロジェクトの計画案をまとめてしまいたかったので、予定を断るかどうかを考えた。それでも、元から入っていた予定を直前で断ってしまうことがとんでもないマナー違反であることは分かったので、残り少なくなったコーヒーを飲んでから、デスクも散らかったままに身支度をして、家を出た。
指定されたカフェは、大きな川の道沿いにあった。季節は夏の終わりに差し掛かっていた。今朝降っていた雨もあがり、地面もカラっと乾いてくるような気持ちのいい暑さだった。店内は空間の広さに対して席数も少なく、天井も高くて、ゆったりとした空気が流れていた。待ち合わせの時間よりも15分ほど早く着いてしまったので、先にカウンターでコーヒーとクロワッサンを頼んで店内に入ることにした。川の見える横並びの席に座ることにした。人と話すときに、対面だとどうしても緊迫感を感じてしまうため、こういうときいつもぼくは横並びに座るように気を付けている。コーヒーはどれも深入りでぼく好みではないだろうと思ったが、予想に反してとても美味しかった。今日はケニアにした。昼食代わりのクロワッサンを頬張りながら、カフカの『変身』の続きを読む。自分の部屋のものが全て撤去されることを恐れた主人公の青年グレゴール・ザムザが、最後の自分の痕跡である雑誌の切り抜きの上にへばりついている。ぼくは本を置いて、コーヒーを一口飲んだ。川の流れの、水の隆起を見る。
その時、お店の前を通った女性が、こちらを見て笑顔になった。ぼくに向かって小さく手を振った。秋山さんだった。何となく面影を感じて秋山さんだと分かったが、今日ぼくが会うことにしていた人とは全然違う人が来た、という感じもした。先にぼくの席に来て、お互いに久しぶりだねという一通りの表面的な挨拶だけしてから、秋山さんもカウンターでコーヒーを注文した。カウンターで出来上がるのを待ってから、グラスに氷とライムが一緒に入っているエスプレッソトニックのグラスを持ってぼくの方に歩いて来た。椅子に腰をかけず立ったままの秋山さんが、
「あっちの席にしようよ。」
と言った。テーブルの席だった。ぼくは川の見える横並びの席が良かったのだが、そこまでこだわらなくてもいいだろう、と思って移動することにした。テーブルで、秋山さんと向かい合う形で席についた。
イントロダクションのような気持ちで、ぼくは最近の秋山さんの仕事のことについてきいた。彼女はコンテンポラリーダンスのダンサーとして、舞台演劇の作品に出演したり、自分でも企画を主催して、場所を借りて踊ったりもしているとのことだった。ぼくはコンテンポラリーダンスについてはあまり知らなかったし、そのジャンルに属していると思われる有名なダンサーも1人も知らなかった。ここに来るまでの道中に動画をいくつか見て予習をしておいたが、何だかすごく自由そうでいいな、という感想くらいしか浮かんでこなかった。こんな軽薄さでは、ダンスについての話を盛り上げることは出来なさそうだと思い、話を切り替えることにした。
「何でぼくに会おうと思って、突然メッセージを?」
秋山さんが会おうよとぼくにメッセージを送ってくれたのは、仕事のことで重要なことを相談したかったのではないかと予想していた。例えばぼくへの相談ごとと言えば、Webサイトをつくってほしいとか、そういうことだ。歓迎だ。予算とスケジュールさえ見合えばだが。途中になっている3つのプロジェクトの計画のことが頭に思い浮かんだが、すぐに追い払った。他に相談事といえば、いい投資があるという話か、ぼくの予想の範囲では想定できない個人的で深刻な問題に関する相談事のどちらかであるだろう。そちらの2つであれば、ぼくはおそらく秋山さんの期待に沿うことはできない。そういった理由がないと、仲がよかったわけでもない中学校の同級生に突然メッセージを送ることはない。
秋山さんは、
「理由なんてないよ。」
と言った。
「理由がなければ、中学生の頃の友人に突然メッセージを送るなんてこと、起こらないんじゃないかな。相談ごとだったら、何でも乗るけど。ぼくに乗れるような相談ごとであればだけど。」
「相談もない。だから、理由はないんだよ。」一息置いて、続けて秋山さんは、
「SNSで見かけて、ただ久しぶりに話したいなと思っただけ。」
と、仕方なくといった感じで付け加えた。ぼくはあまり納得がいかなかった。もしかしたらちょっと切り出しづらい相談事で、気を遣ってくれているのかもしれない。頼み事に入る前に、相手に「単純にあなたと話したいなとも思っていたんです」という言葉をまず伝えておくなんて、とても優しいテンポのとり方だなと思った。ぼくも今度、それを使ってみることにしよう。そんなことを考えていると、秋山さんが少し間を置いて、
「君がちゃんと私と話をしてくれないなら、私、帰りたいんだけど。」
と言った。秋山さんは、なぜだかちょっと怒っているような、悲しんでいるような顔をしていた。何か悪いことを言ってしまっただろうか…。
「ぼくはちゃんと話してる。何か悪いことを言ってしまったのであれば、謝りたい。」
そう、ぼくはちゃんと話している。久しぶりに会う中学校の同級生として、秋山さんへの誠意も尊敬も持っているつもりだ。充分とは言えないかもしれないがコンテンポラリーダンスの動画だって予習した。そして、秋山さんが何に悩んでいて、何をぼくに期待しているのか、こんなに一生懸命考えているじゃないか。これ以上ぼくにどんな「ちゃんと」を期待するというのだろう。
ぼくは秋山さんの言わんとすることの意味を必死に理解しようとしたが、分からなかった。秋山さんがぼくに期待していること、今日会おうとメッセージを送ってきた理由が、全く掴めなかった。コーヒーをゆっくりと口に含み、カップをさらにゆっくりとした動作で机に置いてから、もう一度言った。
「もし、秋山さんの気分を損なってしまった言葉があったなら、それについて謝りたい。」
秋山さんが答えた。
「そういうことじゃないんだよ、私が気分を損なってしまうような言葉は何も言われてない。あなたはあなたの言葉で喋って、私は私の言葉で喋ろうよって、そう言ってるの。そのことについて、気分を損なっているってこと。」
「ごめん、あまり言っていることの意味が分からないな。」
「うん、それなら、大丈夫だよ。今日はもう帰ることにするね。」
そう言って秋山さんは、残り少なくなっていたエスプレッソトニックを飲んだ。立ち上がって、秋山さんがぼくに言った。
「君さえよければだけど、また来週に会わない?」
「もちろん、ぼくはいいけど。」
「じゃあ、またね。」
そう言って、秋山さんは店を出た。店の外から、ぼくに小さく手を振った。
さっきの秋山さんの言葉の意味をもう一度考えながらコーヒーを飲もうとしたら、向かいの椅子の横に見知らぬ黄色の折りたたみ傘が目に入った。秋山さんの忘れ物のようだった。来週会うときに渡そう。ぼくは折りたたみ傘をリュックの中にしまっておいた。秋山さんは何かの相談があったのではなかったのだろうか。もし、ぼくの発言で気分を損ねてしまったのであれば、なぜまた来週に会おうと言ったのだろうか。考えても分からなかった。思考は堂々巡りになり、手持ち無沙汰になってきたので、リュックにしまっていた本を取り出した。青年グレゴール・ザムザに向かって、怒った父親が、リンゴを投げつけている。ぼくはコーヒーの最後の一口を飲んで、お店を出た。店の前の河原に沿って歩いて少し寄り道をしてから、ゆっくりと駅に向かうことにした。
秋山さんと会った日から四日が経った。未だに3つのプロジェクトの計画はまとまっていなかったが、その他の普段の業務では毎日成果を出し、クライアントはその度に喜んで、ぼくに感謝の言葉を伝えてくれた。自分に期待してくれていた相手に感謝されることはとても嬉しい。相手が期待してくれていることに、先回りして提案する技術がどんどんと向上しているという実感がある。人手が足りなくなってきたので、請け負っているいくつかのプロジェクトでは、アシスタントとしてプログラミングを手伝ってくれるアルバイトを雇うようになっていた。よく働いてくれる、コンピュータサイエンス専攻の優秀な大学生だった。アルバイトで仕事を手伝ってもらい始めたおかげで、ぼく自身はより自分にしかできない業務に集中できるようになった。プロジェクトのマネジメントにも時間を使えるようになった。そして、それがクライアントにとっての価値にも反映されていると実感し始めていた。
遅くても今月末までには、新しく相談をもらった3つのプロジェクトの計画をまとめあげよう。早めに承認をもらい、スタートしなければならない。タイムリミットは、2週間後に迫っていた。計画の詳細を詰めていくほどに何らかの無理が生じそうな部分が出てきてしまう。行き詰まってしまったような感覚があったので、明日は気分転換にどこかに行くことにしようと思った。明日から週末なので、予定を空けるのにちょうどよかった。週末には、電話をとらなくても許されるような気になれて、安心する。
なんだか、ぼくはいつも電話をとらなくてもいい言い訳を探しているなと思った。それはかっこわるいことだと感じた。電話くらい、とろうよ。社会人にとって、いや子供でさえそれはとても簡単なことだ。この社会で、誰でも簡単に出来ていること。それが、ぼくには出来ない。いつも電話が鳴る音で不穏な気持ちになり、とらなくてもいい理由を必死に探して、その理由の妥当性を照らし合わた結果、電話をとったり、とらなかったりする。ぼくは、他の人が社会で当たり前にやっているこんな簡単なことも、当たり前にできない。普通の人間にとっては当たり前に持っているはずの何かが欠けてしまっている。だけど最近は、こうしてフリーランスとして独立し、さらにアシスタントまで雇って毎日仕事で成果を出している。もっと成果を出せば、きっとみんなが当たり前にできていることが、ぼくにもできるようになるはずだ。そしてさらには、みんなが当たり前にはできないようなことも、できるようになっているだろう。そのためには、まだまだ努力が足りない。自分ならもっとやれるはずだ。ぼくはとてもやる気に満ちていて、そしてとても不安だった。新しいプロジェクトだって、今はきっと、1つのことに集中しすぎてしまっているだけだろう。気分をリフレッシュしたら、いい案がぽんと思い浮かんでくるかもしれないさ。そんなものだろう。
次の日、朝はゆっくりと目覚めた。朝ごはんが食べたい、と思った。トーストを切らしてしまっていたので、目玉焼きとコーヒーだけの朝ごはんにした。最近は仕事の時間が惜しくて、しばらく朝ごはんは食べていなかった。仕事が忙しくなってくると、朝食はなくなり、昼食と夕食は外食かデリバリーが多くなる。秩父から帰ってきてから料理を1度もつくっていなかったことに気付いた。朝、卵を焼いて、コーヒーを淹れるだけでも、充分に満たされたような気分になった。ぼくの、今日という1日を生きていくための、大事な何かに触れることができたような感覚がした。ぼくが日本人男性の平均寿命である79歳まで生きるとするなら、1日は人生のうちの0.0034%にあたるらしい。卵を焼いてコーヒーを淹れるだけで、0.0034%を生きることができているという実感を持つことができる、と思った。料理が何であるかが大事なのではなく、卵を焼いてコーヒーを淹れるというその行為の方に何か意味があるのかもしれない。
そこまで考えていて、人生は線ではなく、点なのかもしれない、と思った。0.0034%について考えているとき、ぼくはそれが100%に近づいてどんどんと残りが少なくなっているもののように考えてしまう。「人生の時間は有限だ。」と、もう覚えていないくらいずっと昔から、誰かに教えられてきたような気がする。でも、人が生きているということには、実際には過去もなく、未来もない。ぼくは明日死ぬかもしれないし、79歳で死ぬかもしれない。人が生きるということには、今という点の連続があるだけなのかもしれない。卵を焼いてコーヒーを淹れているこの一連の瞬間の重なりの中では、ぼくは生きているということに安心している、と思った。誰かのものでなく、ぼくのものとしてぼくを生きている。卵を焼いて、コーヒーを淹れているとき、ぼくは100%に近づいていく0.0034%ではなく、今という点に確かに生きていた。
今日は1つも仕事を入れていなかった。部屋の白い壁のゴツゴツを詳細に見ていく大切な作業を差し置いてでも、今日は行ってみたいところがあった。それは、都内にある大きな緑地だった。公園のように綺麗にととのった自然ではなく、できるだけ人間の手入れが施されきっていない場所に行きたいと思い、1日のうちに行ける場所を探していたときに、その緑地を見つけた。スマートフォンの地図の上に広大に塗られている緑色を見ているだけで、楽しくなってしまう。今日はパソコンはいらないと思った。パソコンを入れていないリュックはスカスカでよれていて、ぼくのものではない何かになってしまったような気がした。スマートフォンと財布と本だけをよれたリュックに入れて、家を出た。
緑地までは家から電車で1時間半ほどで着いた。やっぱり近いなと思った。駅からしばらく歩いていると、ぽつぽつと住宅が建っている中に突然、入り口に立って見渡しただけでは全貌が全くわからないほどの、大きな森林が出現した。緑地の入り口は石段になっており、細くて急な坂道が上の方まで続いているのが見える。この石段を上がってしまえば、ぼくはもう戻ってこられなくなるかもしれない。秩父でも何回か感じた、あの怖さを同じように感じていることに気付いた。それでも、行こう。もう頭で考えてぼくの体を制御して、ここから先に行くことを止めることはきっとできなくなっていると思った。それくらいにはもう、ぼくはぎこちなくなってしまっている。
石段を数歩上がると、体感温度がぐっと下がり、ひんやりとした空気が自分の体を包んだ。石段は山の尾根のように高い部分に沿って設置されており、左を見ると小川が流れていた。都内から近い場所だったのであまり期待しないようにしていたのだが、石段で通路が整えられている部分以外は人間が手をあまり加えていないように見え、ぼくはとても安心した。石段を少しずつ登って、森林の奥の方に踏み入れていくほどに、ぼくは穏やかになっていった。ここには、今を生きている命しかいない。動物も、昆虫も、植物も。この瞬間を生き延びるために、ただ、生きている。ここには、ぼくをぼくじゃないものとして生きさせようとしてくるような命の働きはない。ここでは、ぼくもただひたすらにぼくを生きている。
しばらく歩いていると、視界が拓けて、丘のようになだらかになっている場所に着いた。地面は芝になっていて、ちょっとした遊具のようなものもある。もう、頂上にたどり着いてしまった。少し残念な気持ちになりながら、まぁこんなものだろう、とぼくは冷静な顔をした。丘のほとりにあったベンチに腰を掛けて、途中で買っておいたペットボトルのお茶を一気に半分ほど飲んだ。本を取り出し、数ページ読む。グレゴール・ザムザは父親に投げつけられたリンゴで重症を負ってしまい、それまでお世話をしてくれていた妹にも見放されてしまった。
本を置き、しばらくベンチに座っていた。綺麗に整えられた芝の生えた丘を囲んでいる森林。そこに並ぶ木を、一本一本見ていく。樹木を力強く支えているその幹は、一番外側の部分だけが生きていて、その内側は死んでいる。外側に成長していくことで年輪が作りだされ、密度の高い丈夫な幹になる。その頑丈な幹によって大きく広がった枝と葉を支えて、光合成をすることで息をしている。その樹木の、生きている表面の皮の部分の、ゴツゴツとした隆起を、一本ずつ丁寧に見ていた。
木を順に見ていると、木が立ち並ぶ間隔が少しあいて、小さく開けている場所が見えた。ベンチを立って近付いてみると、しばらく人は通っていないようだが、生えている草が少し短くなっており獣道になっている。その細い一本の道は、森の奥まで続いているようだった。またぼくはあの怖さを感じた。入ったらもう元の入り口には戻ってこられないだろうという予感がする。秩父でも何度も感じた、あのうっすらとした怖さ。気持ちに一気に雲がかかり、息がしづらくなる。この怖さを感じるとき、いつもその裏側に同時に、自分の心の奥から、その雲を突き破ろうとしてくるような、まるで義務感や使命感といったものに近い何かを感じる。毎回その相反する2つの感覚のブレンドの割合が異なっている。恐怖が使命感を飲み込むほど大きなときは、ぼくは理性を保ち、きちんとその場を去る選択ができる。そういうときには、無理をせずに済む。だが、その恐怖を使命感が上回って雲を突き破ってしまった時には、もう自分では自分を止めることはできない。そうなってしまったときに止めようとすることは、不可抗力であり、無駄な抵抗なのだ。最近は特にそれを止められないことが多くなってきているような気がする。段々と、自分が自分でなくなるように、ぼくはぎこちなくなっている。
恐怖は人間の安全装置だ、と思った。人間は自分自身に危険が迫っていることを感知したとき、「恐れ」という感情によってその危険を本能の部分が自身に教えるようにつくられているのではないだろうか。そうであるならば、最近のぼくは度々この恐れを無視してしまっているわけで、とても危険な状態に陥ってるということになる。ときどきぼくはこのことについて、とても不安になる。本当に帰ってこれなくなってしまったら、どうしよう。元の自分がいた場所に、もう自力では帰ってこれなくなるということについて、急にとても不安になることがある。仕事で成果を出すほどに、その不安から遠ざかることができるような気がする。だから秩父から帰ってきた直後から、仕事に打ち込んだ。それがぼくが、元いた場所に帰ってくるための唯一の方法だと感じていた。
しばらくその獣道を前にして、ぼくは立ち止まっていた。それでもやはり踵を返すことは結局できず、その獣道を進むことにした。山奥に続いているように見える、その道を。しばらくぼくは、山の中を背の高い草をかきわけながら、ひたすらに歩いた。途中で、道があるのかないのか分からなくなりそうになったが、なぜか進む方向だけは分かっているという気持ちになっていた。この緑地は、こんなにも広かっただろうか。都内にある大抵の自然公園であれば、もうとっくに端から端まで歩き終わっているだろうと思えるくらいの距離だと感じていた。それでも歩き続けた。より森の奥の、人の気配がしない場所に進んでいく。1歩を進むごとに、入り口の前に立ったときに感じた恐怖も、徐々に薄れていった。地面には枯れ葉がたくさん落ちている。自分の歩いている左側には川が流れていた。自然は、大きな音がする。低い音で地面を這うように響く川、虫の鳴く声、風で擦れる葉。こんな場所に住んでいたらきっと、どんな隣人よりもうるさいのではないかと思った。それくらいに、自然は大きな音がしていた。これなら寂しくないかもしれないな、とも思った。
小さな面積に何十世帯分もの同じ形の四角い部屋が積まれている構造物。ぼくはいつもその一室の、ゴツゴツとした白い壁の小さなワンルームの内側で身を潜めるようにしてイヤフォンで、大きな音をきいている。そんなときぼくは、とても寂しい。メートルの距離で測ったなら、こんなにも近くにたくさんの人間が生きているはずなのに、ぼくは1人だという感じがしながら生きている。みんなが1人。そして1人であることがバレないように、息を潜めて生きている。みんなが同じ場所に集まって、みんながひとりぼっちになった。
不安定な足場の道を、慎重に下を向きながら歩いていると、突然として目の前に鳥居と、急な石の階段が現れた。拓けた場所にたどり着いていたことに、顔を上げて初めて気がついた。目の前の鳥居はかなり古びていて、ところどころ苔が生えている。石段は上の方まで高く続いており、のぼった先に何があるのかは、下からは見えなかった。ぼくの中に残っていた恐怖は、抗うこともできないくらいに小さくなっていた。今は、もう戻っては来れないかもしれないということに、心地よささえ感じている。ぼくは、鳥居をくぐった。
そのまま階段をのぼり始めた。はしごと呼びたくなるくらいに急な階段だった。おまけに、一段ずつのぼっていくほどに、階段の狭い接地面に占める苔の割合が多くなってきていて、滑りそうになる。ここで転げ落ちたら、おそらく誰も助けに来ないだろう。後ろを振り返って、階段の一段目のところで1人でうつぶせに倒れたまま少しずつ死んでいくことを想像した。怖くなって、上を向き直して再び歩き始めた。さすがに疲れてきた。帰りたい。少しずつ、またあの恐怖が自分の中に膨らんでくるのが分かる。家の扉を開けて、いつも仕事をしているあのデスクの前に座りたい。パソコンを開きたい。3つのプロジェクトのための気分転換をしに来たのに、ぼくはここで何をやっているのだろう。今すぐに後ろを向き直して階段を下りて、家に帰る方がいいのかもしれない。
携帯を見たら、電波はつながっていなかった。この間にもしかしたらクライアントからの電話もきているかもしれない。今頃クライアントは電話を全く無視しているぼくのことに失望してしまっているかもしれない。そうしたらもうきっと、ぼくに仕事は依頼してくれないだろう。もうずっと、ぼくに頼ってはくれなくなるだろう。そうしたら、また1人だ。
ここまで来て、戻ることはできなかった。せめて、頂上まで行こう。そこで道がつながっていたとしても、頂上までのぼったことで達成ということにしよう。これで最後。何かをやり遂げたということになるはずだ。頂上までのぼればきっと、プロジェクトのいい案も思いつくだろう。疲労でどんどんと重くなっていく足を、一歩ずつ石段の上に運んでいく。
どれくらいの時間、石段をのぼっただろう。石段は、気が遠くなるほどに長かった。途中から、疲れでプロジェクトのことなんて、どうでもよくなり始めていた。失望されて頼られなくなって、1人になってしまうことも、どうでもよくなった。頂上までのぼる意味も分からなくなっていたが、分からないままでいいと思った。分からない方がいいと思った。それでものぼりたいという心の動きだけがそこにはあった。のぼり始めてどれくらいの時間が経ったのだろう。体の持っていたエネルギーが底を尽き、頭で何も考えられなくなり始めたとき、気付いたら石段の頂上に着いていた。
頂上には、石畳の短い参道があり、その先に古びた小さな神社があった。参道の脇を歩いて神社に向かう。脇道には小さな石が敷かれており、ジャ、ジャと音がなった。石が擦れる、ジャ、という音を自分の足によって鳴らし、それが自分の耳に入っていくその度に、安心していくような気持ちになった。なぜか段々と秋山さんに会いたいと思うようになっていた。
神社は、周囲に生い茂る木の枝や背の高い草の間に挟まるようにひっそりと建っていて、しばらく人が手入れしていないように見えた。ご神体が祀られているであろう本殿の空間は、人がギリギリ1人入れるかどうかというくらいの大きさだった。ぼくは礼も拍手もせず、しばらくその神社の前に立ち尽くしていた。疲れていたことも忘れ、白い壁の隆起を見ていく作業のときと同じように、長い時間そこに立ち尽くしていた。
腕に雨が当たる感触がして、ハッと我に返った。雨やどりできる場所がないか周囲を探したが、見当たらなかった。傘なんて持ってきていないしな…と考えていたとき、秋山さんが忘れていった黄色の折りたたみ傘をリュックに入れっぱなしにしていたことを思い出した。忘れ物を届けてあげるのだから、ぼくが借りるくらいの謝礼は頂戴しても許してもらえるだろう。ぼくは折りたたみ傘をリュックから取り出して、開いた。ぱっと明るい黄色だった。明るすぎて、ぼくには似合わない色だと思った。
神社から向かって左側に、道が見えた。また獣道ではあるが、下り坂になっている道だったので、緑地の外の、どこかの出口にはきっとたどり着けるだろうと思った。山道をしばらく歩いていると、森林の中でそこだけぽっかりとひらけている、短い芝の生えた丘のような場所に出た。雨で芝は水分を含んでいて、ぼくの足が軽やかに地面に食い込む。ぼくは明るい黄色の傘をさして、そのなだらかな丘をゆっくりと歩いていた。
第三章 乳白色の月
あの神社から帰ってきてから、秋山さんと会うことになっていた日までの4日間、ぼくは全く仕事が手につかなかった。それとは反対に、白い壁のゴツゴツとした隆起を1つ1つ丁寧に見ていく作業の時間は、どんどんと長くなっていた。仕事に向き合えないことへの罪悪感がつのる。仕事に向き合うのが嫌になったというわけではなく、集中力を保つことができる時間が限りなくゼロに近づいてきてしまっているという感覚だった。机に向き合っても、手が動いてくれず、すぐに他のことに気を取られてしまう。お茶を淹れにいったり、部屋の掃除をしてみたり、料理をしたり、煙草を吸ってみたりと、せわしなく休憩ばかりをしているような動きになってしまう。そして手軽にできる休憩が一通りなくなると、白い壁を見つめることが結局は最後に残った選択肢となる。一体自分はどうなってしまったのだろうか。集中力を上げるための方法を調べて実践してみたり、目が疲れないブルーライトカットの眼鏡を購入してみたりしたが、あまり効果はあがらなかった。さらには、腰の疲れない高級な椅子の購入も検討し始めていた。今起こっている問題を何とかしなければならない。成果が上がっていない。ぼくはとても焦っていた。不安な気持ちを抱えながら、今日も白い壁を見つめて1日が終わってしまう。この4日間は、仕事もろくにしていないのに、夜はすぐに眠くなるようになっていた。徹夜明けの朝のような、とてつもない眠気に襲われるのだった。今日も、夜の8時くらいにこの眠気が来た。眠気に襲われ、まどろみの中で抗うこともできず、不安に覆い尽くされるようにソファで眠った。
日の光で目が覚めた。今日は秋山さんと会う日だった。最近人と会っていなかったので、久しぶりに誰かと会えることが楽しみだった。そして、神社に続く石段をのぼったあの時から、なぜだか秋山さんに会いたいという気持ちが生まれていた。人と会うことが楽しみだと思ったのは、いつ以来だろうか。小学生の頃、友人の家に集まってゲームをしていたことを思い出した。何もかもが無条件だった頃が、ぼくにもあったはずだった。でもそれは遠い昔のことで、もうその時の感覚をそのまま思い出すことはできなかった。中学生になってぼくは人と、ある一定の緊張感を持って接するようになっていた。地方の公立の中学校に通っていたのだが、学校には目には見えないヒエラルキーのようなものが男女それぞれに存在していた。ぼくはそのヒエラルキーの上位に位置し続けることに必死だった。そのヒエラルキーの下の方に転げ落ちてしまうことは、ぼくにとってはそのコミュニティで生きていくことができなくなることと同義だった。コミュニティの中で、面白いと思われたり、価値があると思われる行動を率先して行った。学級委員をやったり、生徒会になったり、勉強もしていてそれなりに成績もよかった。そして同時に、一見してその逆の行動に見えるのだが、学校をサボって友達と遊んだり、制服を着崩してみたり、髪を染めたりもしていた。コミュニティの中で全ての方位から価値ある存在だと思われるためには、善と悪の両方を、ほどよい加減でバランスよく行っていくことが大事だった。それが自分なりの、学校というコミュニティの中での生存戦略だった。とにかく生きることに必死だった。人と人との関係性の中で生き抜いていくことに必死だった。
朝ごはんは、いつも通りのトーストと卵焼きに加えて、ベーコンがあったのでそれも焼くことにした。ベーコンは、既に薄く切られているものではなく、ブロックの大きいものでなければならない。大きなブロックの状態から、その日の気分に合わせて厚めに切ったり、細長く切ったりする。自分の気分に合わせてあげられる余地が必要なのだ。大抵は最終製品に近づくほどに加工される回数も増え、スーパーに並んだ時には、もう素材の状態からはかなり遠ざかった状態になっている。遠ざかっていくほどに、自分の気分に合わせて手元で加工する余地は小さくなってしまう。素材の状態が一番優しい。ぼくに何かをさせてこようとする感じがしないから、安心できる。薄く切られたベーコンは、ぼくに薄いベーコンを食べることを強要してくる。今日はベーコンを厚めに切って、たっぷりと粗挽きの胡椒を振り、カリカリになるまで焼くことにした。それを卵焼きの横に添える。コーヒーはエチオピアの、いちごのような香りのする品種の豆を淹れた。
朝ごはんを食べ終えたら、身だしなみを整え、玄関で乾かしておいた明るい黄色の折りたたみ傘を持って家を出た。パソコンも、リュックも持って行かないことにした。自宅の最寄り駅から電車で1時間弱ほど、都心から遠ざかる方向に向かっている。今日はコンテンポラリーダンスの動画は見なかった。限られた時間で表面的にいくつかの動画を見たくらいでは軽薄な感想しか持てないことは前回分かったし、何より動画を見て予習することは今日のぼくには必要ないと感じていた。
着いた駅は、初めて降りるところだった。今日は駅で待ち合わせをしていた。時間よりも15分ほど早く到着したので、本を読んで待っていることにした。ズボンの後ろのポケットに入れていた、文庫本のカフカの『変身』を取り出した。グレゴール・ザムザは、妹が弾いているバイオリンの音色に惹かれて、隠れていた物置部屋から出てきて、居間に顔を出してしまう。体は糸くずや髪の毛やほこりにまみれていた。グレゴールは、それまでむしろ誇りだとさえ思っていた自分の思いやりの心を、もう持ち合わせていない状態になっていた。
「おまたせ!」
本に夢中になっていると、後ろから声がきこえた。秋山さんだった。今日は、肩の下くらいまでの長さの髪を下ろしていた。ぼくより少しだけ背が低いくらいなので、平均身長に比べると高い方だろう。(ぼくは日本人男性の平均身長ちょうどくらいだ。)ほっそりとしているが健康的な印象で、服はタイトめですらっとした、カジュアルな深い緑色のワンピースを着ていた。左耳には明るい黄緑色の大きなイヤリングが揺れている。確かに秋山さんではあるが、先週ケニアの深煎のコーヒーを飲んでいた場所で出会った人とは違う人のような印象も受けた。ぼくは返事をした。
「待っていないので大丈夫。今日は忙しいところ、ありがとうね。」
秋山さんは、
「そういうのはいいよ。さ、行こ。」
と言って、ぼくの前を歩き出した。
駅から10分ほど歩いたところで、緑が多く見える場所に着いた。橋がかかっており、その手前に看板が出ていた。橋の右横にある階段をおりると、川があるらしい。階段をおりると、一気に温度が下がっていくのを感じた。またあの、ひやっとした空気が肺に入ってくる感覚だった。階段を下ったところは渓谷のようになっていて、川が流れているところだけが地形を削り取り、周囲よりも土地が深く沈み込んでいる。川に沿って拓けているその道は周囲が土と木に囲まれていて、周りが住宅街であることを忘れそうになった。川に沿って下流に向かって歩きながら、秋山さんが言った。
「いいところでしょ。よく来るんだ。深夜に1人で歩くと、人も少なくてもっと気持ちいいよ。」
「それは確かに気持ちいいかもしれないけど、深夜にこんなところに1人でよく来るなんて、変わってるね。」
「私から見たら、君の方が変わってるけど。」
「そんなことないと思うけどなぁ…。ぼくはこれまでとても普通に生きてきたから。」
「君が自分のことを『普通』だと思っていることは、変わっていることの何よりの証拠だね。」
「でも、それなりに他の人よりも頑張ってきたこともいくつかはあるけど、大体のことは器用にこなしてできるようになってきていて。そしてそれと同じ分、大体のことが『普通』で終わってしまっているって感じがするんだ。」
「私からしたら、そのことも才能のように思えるけど。」
「才能がある人っていうのは、きっと1つのことだけをずっと長い時間やっていて、その分だけその人が『普通』でない状態になっている、ってことで。例えば、才能のある陶芸家は、一生かけて陶芸の道を極め続けている。才能があるっていうのは、そういうことだと思う。」
「自分にないものを求めてるんだね。」
「確かに、そうなのかもしれないね。憧れてる。」
「憧れているものには、ずっとなれないよね。憧れているものには、これからも憧れ続けるから、それは、ずっとそうはなれないってことなんだと思う。」
「それが本当だとしたら、すごく残酷な話だね。」
「そんなこともないよ。憧れているものは、自分に欠けているものだから。だから才能は、憧れの反対側にあるってこと。」
「分からないな。人は他の誰かに憧れて、その人に少しでも近付いていけるように、一生懸命努力するんじゃないのかな。」
「そういう面もあるよね。だけど私は何かを努力して手に入れるということを、偉いとは思っていないから。」
「じゃあ、何を偉いと思っているということ?」
「努力していないということ。」
「また、分からないな。」
「努力して元々持っていなかったものを手に入れようとしなくても、元々持っているものをただ抱えて生きていること。そういう人って、とっても輝いてる。」
「確かに、そういう面もあるかもしれない。」
「今日は先週と違って、君が、私と話してくれてる、って感じがする。」
「コンテンポラリーダンスの動画を見てこなかったからかな。」
「なにそれ。」
「話すのは少し恥ずかしいんだけど、先週会ったときには、電車でコンテンポラリーダンスの動画をいくつか見てきたんだ。ぼくはコンテンポラリーダンスのことを全く知らないから、少しでも知っておいた方が話を楽しくきけるのかなと思って。」
「私もプログラミングやソフトウェアのことなんて、なんにも知らないよ。」
「それは、そうかもしれないね。でも別にぼくはそんなこと気にしないよ。」
「じゃあ、お互い様ってことだね。私も君がコンテンポラリーダンスの有名なダンサーを1人も知っていなくても、なんにも気にしてないから。」
2人で並んで話をしながら歩いていると、小さな滝と、何かが祀られているらしい祠のようなものがあった。滝の手前には水をすくえるように竹の柄杓が4つほど置いてあった。水温が気になって、好奇心で試しにひとすくいして、手にかけてみた。冷たかった。
「冷たい。」
とぼくが呟くと、秋山さんも同じようにしていた。祠の前は、短い石畳になっていた。石畳を進んで、祠の前まできた。そこには、少女が手を合わせている形の置物が置いてあった。おそらく仏教に関わっている銅像か何かだろうと思った。その少女の像の前で、ぼくと秋山さんは無言になってしばらく立っていた。横を見ると、秋山さんは目を閉じて手を合わせていた。その間ぼくは、その少女をただ見つめて立ち尽くしていた。
「いこっか。」
ぼくがしばらく立ち尽くしていると、横で秋山さんがそう言って歩き出した。後ろ髪を引かれるような気持ちで、ぼくも歩き出した。石畳を引き返し、滝の横にあった階段を登ってみることにした。木の小さな丸太で組まれたような階段だった。階段を登ると、大きな神社があった。お堂の周りを掃いているお坊さんや、参拝している人の姿もあった。ぼくたちは神社の周りをぐるっと一周散歩したあと、お堂の前に戻ってきた。お賽銭を入れて、鐘を鳴らし、礼と拍手をして目を閉じた。目を閉じている間、ぼくはお祈りをするわけでもなく、自分の右手と左手の皮膚が触れている感触を感じていた。目を開けて、もう一度礼をした。秋山さんも横で少し遅れて目を開けて、礼をした。
振り返って秋山さんが言った。
「これから、もしよければだけど、君の家に行ってもいい?途中で美味しいワインを買って、飲もうよ。」
ぼくは、自分の部屋のデスクが散乱していることを思い出した。
「散らかってるし、狭いけど、それでもよければ。」
「全然気にしない。」
と、秋山さんが答えた。部屋が散らかっていることによる億劫さはあったが、そのままぼくの家に向かうことになった。時刻は夕方頃になっていた。ぼくの家の最寄り駅にあるスーパーで、安くて美味しい定番の赤ワインと、おつまみにも簡単な夜ご飯にもなりそうな惣菜をいくつか買った。
家に着いて、ぼくはデスクを始めとした、部屋の中のさすがにまずいだろうと思った部分を簡単に片付けていった。その間秋山さんはダイニングテーブルに座って、ぼくが片付けている様子を眺めていた。ぼくは半ば諦めたような気持ちで片付けを切り上げ、グラスと小皿を2つずつダイニングテーブルに並べた。お惣菜を小皿に盛り、赤ワインを開けて飲んだ。ドライのラズベリーのような渋い酸味を感じる、コクのある深いワインだった。しばらくワインを飲みながら、いろいろな個人的な話をしていた。秋山さんは幼少期の家庭の話や、中学生の頃の話をしてくれた。秋山さんが悩んできたことがこんなにたくさんあったということが、少し意外だと感じた。ぼくも中学生の頃に、友人のコミュニティの中でどう立ち回って生きていくのかについて必死だったことを話した。人にそういう話をすることは初めてだった。秋山さんはそれを、とても興味深そうにきいてくれていた。
話の合間に、秋山さんが足を組みかえて、ぼくに尋ねた。
「煙草、吸ってもいい?」
「いいよ。ぼくも吸いたいし。」
しばらく2人で煙草を吸っていた。煙草を吸っている間会話はなく、煙だけがまとまりをもってゆらゆらと天井に向かってゆっくりと上昇していく。秋山さんが、吸い終わった煙草をぐぐっと灰皿に押し付けて、唐突にぼくに言った。
「セックスには興味はあるの?」
突然だったし、ぼくはその手の話題が苦手だったので、どう答えればいいのか分からなかった。男性に対しても女性に対しても、学生の頃から、そういった話をすることへの居心地のわるさがあった。そういった話題になった時には会話からするっと抜け出してその場を去るか、当たり障りのないことを発言して取り繕うようにしていた。
「もちろん、ないことはないけど。」
と、会話が不自然に途切れないテンポで、何とか当たり障りのない答え方をした。
「もっとちゃんと答えて。」
秋山さんに問い詰められて、少し間を置いてから答えた。
「ある。と思う。分からないんだ。」
「分からない?」
「そう、分からない。」
「何が分からないっていうこと?」
「街ですれ違った女性のことをかわいいなと思ったりすることはある。そしてもちろんぼくは性欲だってある。でも例えば、魅力的だと感じるような人に出会ったとき、途端にどうすればいいのか分からなくなるんだ。怖いんだ。おそらく、誰かに性欲のようなものを感じてしまうことが、とても怖い。そして、その相手に、ぼくが性欲を持っていることがバレてしまうことも、多分とても怖いんだと思う。」
「好きな人と、セックスしたいのか分からないってこと?」
「そうとも言えるのかもしれない。好きな人でも、そして例えそれが付き合っている彼女だったとしても、ぼくがセックスをしたいと感じていると、相手にそう思われてしまうことが、とても怖いと感じることがある。」
「それが相手を怖がらせるから?」
「そう、怖がらせてしまうこともある。悲しませてしまうこともある。だからぼくは多分、セックスに興味のないふりをし続けているんだと思う。自分自身に対しても、そういうふりをしている。」
「じゃあ、私とセックスをしてみたいと思う?」
ぼくは戸惑って、またどう答えていいのか分からなくなった。秋山さんとセックスをしてみたいとも感じたが、そう思ってしまったことがとても怖かった。
「秋山さんとは久しぶりに会ったばかりだし、まだよく分からないよ。」
「長い期間親しくしていて、相手の思っていることをよく理解している相手でないと、セックスはできないってこと?」
「結果として、そういうことになるのかもしれない。」
「何だかとっても面倒そうだね。」
「面倒にしないと、トラブルを起こしてしまうからね。」
「トラブル?」
「そう。例えば、誰かを傷つけてしまったり、悲しませてしまったりすること。」
「そういうこともあるかもしれないね。」
「全ての物事には、ある程度の、しかも時々は頑張れば乗り越えてしまえるくらいの、丁度いい量の面倒さが必要なんだ。生きていく上では、あらゆることの面倒さの分量を細かく測っておいて、それをきっちりと覚えておくことがとても大事なことなんだ。」
「それは、私とセックスをしたいと思ってるってこと?」
「そうとも言えるかもしれない。」
「本当に面倒くさい仕組みになってるんだね。」
秋山さんは呆れたように言った。
ダンスで日頃から体を動かしているからか、秋山さんはとても健康的な身体を持っていると思った。肌は白いが、適度に日焼けもしていて、自然に感じるようなきれいな肌色だった。二の腕の肌はとても肌理が細かくて、ハリがある。ふと、秋山さんの腕をしばらく凝視してしまっていたことに気付き、目線を灰皿の方に逸らした。
「私、そろそろ帰ろうかな。」
秋山さんが唐突に言った。ぼくは一瞬戸惑ったが、何かそうしたい理由がきっとあるのだろう、と考えて戸惑いを自分の頭の中で処理した。
「そっか。分かった。駅まで送ろうか?」
「送らなくて、大丈夫。」
そう言って、荷物を持って、玄関で靴をはきながら、秋山さんは言った。
「今日は楽しかったよ。また会おう。」
「ぼくも楽しかった。ありがとう。また。」
秋山さんの「また会おう」という発言は社交辞令だろうと思ったが、もしかしたら、本当に会いたいとも思ってくれているのかもしれない。秋山さんの発言や振る舞いの意図や目的は、いつも分かりづらくて不安になってしまうときがある。意図や目的が理解できれば、ぼくはそれに応えたり、あえて応えなかったりすることができる。ぼくはそういうことを読み取る技術をこれまで身につけてきたはずだったのだけど、秋山さんにはそれがうまく発動してくれない。
「じゃあね!」
秋山さんはそう言って、振り返らずに玄関の扉開けて歩いていった。秋山さんが歩く、とんとんという足音も、バタンと扉が閉まって、すぐにきこえなくなっていった。
秋山さんが帰った直後に、あの睡魔に今日も襲われた。ぼくはテーブルの片付けも途中に、ソファでそのまま眠りについた。その日の夜、ぼくは夢を見た。ぼくは1人で、深い森の中にいた。その森の奥に進んだところに、上を見ても頂上が見えないくらいに高い岩壁があった。岩壁のふもとには、くぼんでいて岩と岩が屋根のようになっている箇所がある。それは自然にできたものではなく、人が掘ったような穴だった。ぼくはその穴を、自分の寝床にして暮らしていた。ぼくは森の奥のそのトンネルのような横穴で、しばらく自給自足的な生活をしているのだった。寝床の奥に進むと、火を燃やしたような跡があり、そのすぐ横には木苺のような果実が積んであり、さらにその横には人間が横たわるのに丁度いい広さに藁が敷いてある。ある日の朝、その岩壁の寝床で目を覚ますと、地べたに座っている秋山さんの後ろ姿が見えた。ラフな白いTシャツと、だぼっとしたズボンを履いていた。焚き火を燃やして、朝ごはんを用意してくれているようだった。秋山さんも森に住んでいるのだろうか。いや、それともぼくがこの森の奥にいるという噂をききつけて、興味本位でここまでわざわざやって来たのだろうか。不可解に感じながらも、秋山さんに話かけようとした。声がうまく出ない。それともきこえていないのだろうか。ぼくは身を起こして近寄り、秋山さんの腕に軽く触れた。肌の肌理は細かくて、ぼくの指が触れて沈んだ部分がそのまま跳ね返ってくるようなハリがあった。秋山さんはぼくに気付き、振り返ってぼくの手を握って、そのままぼくを引き寄せてキスをした。ぼくは状況を飲み込めなかった。だが、長らく秋山さんと一緒にここに住んでいて、夫婦のように暮らしていたのかもしれない、と思った。なんだ、そうか、忘れていた、思い出した、と思った。ぼくたちは声を発さずに、そのままお互いの服をゆっくりと脱がせて、裸になった。森の奥で岩と木に囲まれている場所だったので、恥ずかしさを全く感じていなかった。裸のまま立って向かい合い、しばらくお互いを見つめながら、キスをしたり、その感触を何度も確かめるようにお互いの肌に幾度も触れていた。
瞼を突き刺してくるような明るさを感じて、目を覚ました。すでに日が出ていて、部屋が明るくなっている。テーブルには、昨日飲んだワインの瓶とグラスがそのままになっている。今朝見た夢に罪悪感を感じながら、ダイニングテーブルの片付けを始めた。昨日使ったグラスとお皿を洗って、すぐにクロスで食器の水分を拭き取り、食器棚に綺麗に戻した。テーブルも汚れが残らないよう、丁寧に拭き上げた。今朝見た夢のことは忘れよう。ぼくはこんなにも、きっちりとした人間だ。大丈夫。人間が夢を見ることは抗えないし、夢というのはコントロールが効かないものだ。だから、夢で見てしまったことにばつの悪さを感じる必要はないはずだ。
ダイニングテーブルが綺麗に片付いたので、朝ごはんを食べることにした。食パンをカリカリになるまでトーストして、卵焼きは半熟になるように弱火でじっくりと焼いた。コーヒーは、今日はエチオピアの落ち着いた酸味の豆を選んだ。手挽きのミルで豆を細かく砕き、お気に入りのドリッパーでお湯をゆっくりと注ぐ。たっぷりと時間をかけて朝ごはんをつくり、ゆっくりとそれを食べた。昨日秋山さんと話したこと、そして今朝の夢のことを、自分からは普段は見えないくらい奥の方の棚にそっと入れて、しまっておきたかった。ふと白い壁を見る。その表面には細かい隆起があり、ゴツゴツとしている。秋山さんの肌の、きめ細かくて、沈み込んで跳ね返ってくるような感触は、残像のようにぼくの記憶にねっとりとこびりついていて、振り払えなかった。その肌の感触を思い出す度に、ぼくは行き場のない罪悪感を覚えた。
その日から仕事に戻ろうと思っていたが、もはや全く手につかない状態になっていた。1分とも持たず集中ができない。かろうじて何かを進めたとしても、後から見直してみると、これまでの自分では考えられないようなミスが多発してしまっている。資料は誤字だらけになっていた。自分は一体どうなってしまったのだろう。集中力が上がるストレッチも、目が疲れないブルーライトカットの眼鏡も、奮発してついに購入に踏み切った高級オフィスチェアも、全て効き目があるようには思えなかった。この頃はあの強烈な眠気を、夜だけでなく日中にも感じるようになっていた。ぼくは秋山さんと会った日から一週間ほど、そうして仕事もせず昼夜問わず混沌とした夢の中に連れ込まれてしまっていた。仕事が進んでいないこと、そして社会に役に立つ行動を全くとっていない自分自身に気付いて、目を覚ます度に、ねっとりとこべりついてくるような不安と焦りを感じたのだった。
クライアントからのメールは日に日に溜まっていた。最初は返信はできずとも目は通すようにしていたが、最近はもう内容も確認していなかった。新しい3つのプロジェクトのことが気がかりだった。ぼくの今のこの状態を何とか打破してプロジェクトをやり遂げるのか、それともこのままぼくは誰にも連絡もせず虫けらのように役に立たない存在になっていくのか。新しい3つのプロジェクトは、ぼくにとって極めて重大な何かが分岐するレールの、その方向を切り替えるハンドルのように思えた。
まだぼくの中に火は消えていないはずだ。いつもこんな状況になった時、ぼくは立ち上がって、勇気を振り絞って、乗り越えてきたじゃないか。その結果、フリーランスとしてある程度の成功を収めることができた。収入は初年度で同世代の平均年収を超え、前年にはすでに売上は一千万円を越えていた。今年はアルバイトも雇い、二千万円を目指して成長させようとしていた。特に趣味もなく、物欲もなかったので、新しいものを買うでもなくひたすらに仕事に打ち込んできた。同世代よりもある程度自分の方が優秀であると思っていたし、それ相応の努力もしてきたと自覚していた。それなのに、こんなところで終えてしまっていいのだろうか。何も抵抗できずに睡魔に襲われ、このままずっとウトウトし続けるだけで人生を終えていいのだろうか。ぼくは、これまで自分が積み重ねてきたことの全てが無駄になってしまうのではないかという恐怖を感じた。
その時、電話が鳴った。クライアントからだろうか。であれば、今のぼくの状態では出ることは出来ないだろう。さらに失望させてしまうことにしかならないだろうことは想像がついた。体を起こして手を伸ばし、電話の画面を見た。秋山さんからだった。ぼくは電話をとることにした。
「もしもし。」
「もしもし。今日はおひましてない?」
「1日仕事をしてる予定だけど、時間はある。」
「じゃあ会おうよ。」
本当は仕事をしなければいけなかったが、どちらにせよ眠気に襲われて進まないのであれば、気分転換に人と会うのもいいかもしれないと思った。
「いいよ。何時からがいい?」
「夕方まで用事があるから、夜にしよう。もし決まっていないのであれば、夕食を食べない?」
「わかった。」
秋山さんが夕食のお店を決めてくれることになった。秋山さんと会うまでに、まだ時間がしばらくある。ソファに座っていたぼくは、また睡魔に身を委ねて横になった。
目を覚ますと、キッチンに秋山さんの背中が見えた。白いTシャツにゆるっとした紺色の綿のパンツを履いていた。ご飯の準備をしているようだった。ぼくは一瞬頭がこんがらがったが、とにかく状況を確かめようとして、秋山さんに声をかけた。寝起きで声が出ていなかったのか、秋山さんはぼくの声に気付いていない。人間は、声が出ないか、または耳がきこえない場合には、意思疎通をしたい相手に直接触れることが気付いてもらうための唯一の方法なのだと思った。でも、例えば自分が、駅で突然知らない人に体を触れられたりなんてしたら、とても怖いと感じるだろうと思った。「触れる」ということは、ぼくにとってはそれくらい力強くて、生々しい、人間の間に生まれる行為だった。
ぼくは体を起こして、秋山さんの方に近付いた。そっと腕に触れた。肌の表面は柔らかく、ハリがあって跳ね返ってくるようだった。秋山さんはぼくに気付いて、振り返った。ぼくに向かって何かをつぶやいたようだが、声が小さくてうまくききとれなかった。もう一度秋山さんは何かをつぶやいたが、ききとれない。秋山さんはぼくの方を見て不思議そうな顔をしていたが、ふいにそのままぼくに顔を近づけて、キスをした。ぼくは状況がうまく飲み込めなかった。
そのまま秋山さんは、ぼくの目の前でゆっくりと1枚ずつ服を脱いでいって、裸になった。ほっそりとはしているが、筋肉がほどよくついていて健康的な身体だと思った。ぼくは裸の秋山さんに手を引っ張られ、ベッドに寝かされた。秋山さんはぼくの服をゆっくりと1枚ずつ脱がせた。仰向けのぼくに乗るようにしてまたがり、秋山さんが固くなったぼくの陰茎を中にいれた。秋山さんも濡れていた。温かくて、健康的に引き締まっている。ぼくの陰茎が当たっている秋山さんの身体の内部の構造の、その肌の全てが滑らかだった。
秋山さんは上下に動いて、ぼくはその度に声を押し殺そうとした。声を押し殺そうとする度に、罪悪感を感じた。ぼくの中にもある、子孫を残していくために人間に埋め込まれた快楽系が機能している。それは科学によってその本来の目的が成立することを制圧され、欲望だけを暴走させている。マクロ(「神視点」と表現しても良いかもしれない)的に見て人間に与えられた、ぼくたちが生き残っていくための性欲という装置は、ミクロ(人間の一個人)から見ればその99%は単純な快楽的行為として、装置の本来の目的を失って空回りしている。
秋山さんの方を見ると、秋山さんは微笑んでぼくの目を見た。それはとても優しくて穏やかな笑顔だった。秋山さんの目線は、ぼくの眼球のさらに奥の、ぼくの中を見ているように感じた。ぼくの内部まで覗こうとしている、と思った。ぼくも秋山さんの目を見た。秋山さんの目の奥を見ていると、ぼくの中にあった罪悪感のようなばつの悪い感情が段々と薄れてくるように感じた。ぼくは秋山さんとつながっていることに集中した。もっと秋山さんのことを知っていくことができている、という感じがした。秋山さんともっとつながりたいと思った。今、この時、ぼくと秋山さんにとってセックスは本当に単なるごく個人的な快楽的行為であり、生殖装置の空回りなのだろうか。人間にとって、つながることは生きていくための基本的態度であり、つながりを強くするための「触れる」行為としてセックスが存在していたのかもしれない。性欲は自分だけで処理することも出来る。誰かとの行為においても、外に出すことが出来る。意識的に生殖を回避できるという事実は、装置の本来の目的からすれば、機能としての欠陥ということにはならないだろうか。
ぼくは秋山さんの中でそのまま射精した。ぼくたちはベッドに横になり、言葉を交わさずにしばらくキスをしたり肌の跳ね返りを確かめるようにお互いに触れていた。しばらくそうして、そのまま裸のまま2人で眠った。
部屋の眩しさで目が覚めた。朝になっていた。眠気の残っていない目覚めは久しぶりだと思った。隣で寝ていたはずの秋山さんはそこにはいなかった。ぼくが起きる前に、先に帰ってしまったのかもしれない。秋山さんに連絡してみようと思ったが、やめておいた。その必要はないと思った。体をゆっくりと起こして、シャワーを浴びた。歯を磨いて、朝ごはんをつくり始めた。いつものトーストに、目玉焼き、明るい酸味のケニアのコーヒー。白い壁を見つめる作業は、もうぼくには必要なくなっていたと感じた。ぼくは出かけることにした。どうせ仕事にも手はつかないし、もう踏ん張ってそこに戻っていく必要もないだろうと感じていた。パソコンは持っていかないことにした。お気に入りのコーヒー器具とタバコをリュックに詰めて、家を出た。デスクの上は散らかったままだったが、別にそのままでもいいと思った。
ぼくは岡山県の北部にある山間地帯に行くことにした。岡山県は瀬戸内海に面する県であり、南部に岡山市や倉敷市などの市街地が集まっており、鳥取県と県境を接している北部は蒜山を始めとした自然の豊かな山間地帯が広がっている。ぼくは岡山県出身であったが、県北には行ったことがなかったので、いつか訪ねてみたいと思っていたのだった。
家を出て最寄り駅に着くまでの道中で、羽田発片道の当日の飛行機のチケットを取った。羽田空港でしばらく時間を潰した。空港はいつも落ちつく。空港で時間を過ごす時は「待つ」ことが一番の仕事になる。時間があることは人間にとって、とても退屈で、すなわちとても苦痛なことだ。だからみんな、仕事に打ち込んだり、趣味に没頭したりする。人間は、生きることに必死になっている時間をすり減らしながら文明を発達してきた。その分生まれた退屈をどう紛らわせばいいのかが分からなくて、オロオロとしている。その点、空港はぼくに何かをさせてこないのに、その上で「待つ」という立派な使命もくれる。そしてこの場所には、様々なところから来た人たちがいることが前提になっている。言語も通じないかもしれないし、それぞれの場所の常識も通用しないかもしれない。みんながここに集まって、みんなが1人ぼっちになっている。その事実にぼくはとてもほっとするのだった。まだしばらく空港に居たかったが、フライトの時間がきてしまった。ぼくはチェックインを済ませて飛行機に搭乗した。ぐんぐんと高度が上がっていく飛行機の小さくて分厚い窓から、大きな建物が密集している街が、遠ざかって小さくなっていくのをじっと見つめていた。
飛行機は2時間弱ほどで岡山空港に到着した。国内であればもう、映画を1本見る時間もなくどこにでも行けるようになっている。世界は確実に近付いてしまった、と思った。岡山空港からはバスで、岡山県の県庁所在地である岡山駅に向かった。時間が夕方近くになっていたので、駅の近くに一泊することにした。大浴場の付いているビジネスホテルを予約した。大学生の頃に通っていた駅前のラーメン屋で夕食を済ませた。岡山駅の周辺は、小さい東京のように見えた。地中には、水が流れる管が張り巡らされている。空中にも、電線が蜘蛛の糸のように全ての建物をつたっている。これらの養分を送り届ける管がないと、もう人間は生きていけなくなっていた。植物が根を張って生きていくように、人間も生存の過程で地球に根を張り巡らせていた。
ホテルにチェックインして、部屋に入る。荷物を椅子に置いて、すぐにベッドに寝転んだ。明日は朝から県北に向かおう。ふいに秋山さんと話をしたくなり電話をしようと思ったが、やめておいた。おそらく小さな東京のようなこの街に来てしまったから、秋山さんの声がききたくなったのだろう。水道管が根を張っている。ぼくは秋山さんの弾力のある肌に指を沈めたくなった。睡魔に襲われて、ぼくはそのまま眠った。
目が覚めた。確認すると大浴場が朝から開いていたため、お風呂に入ってから、朝食をとることにした。ホテルのビュッフェの朝食を食べて、チェックアウトを済ませた。岡山駅から、電車を乗り継いで3時間ほど移動をした。東京から岡山県に来るよりも遠かった。そこは温泉で有名な場所だった。とはいえ駅の周りには民家が数軒あるだけで、何もない駅だった。車で来るような場所らしく、電車で来る人はいないようだった。ぼくはしばらく歩くことにした。さらに北部の、山間部の方面に向かって歩いた。水分補給をしながら、コンビニで買っておいたおにぎりを途中で座って食べた。山道を1時間半ほど歩いていると、民家が10件ほど集まっている、小さな集落にたどり着いた。その集落を左に折れると、山に登っていく道に分岐するようだった。
その道をしばらく歩いた。30分ほど山を登っていくと、古びた木造で土壁の倉庫のような建物があった。おそらく農具用の倉庫だろうと思った。かなり前から使われていないようだった。扉に手をかけてみると、鍵が開いていた。ぼくはそこで休むことにした。誰かが来て、怒られたら、そのときに謝って、すぐに出ていけばいいだろうと思った。
倉庫の中はひんやりとしていて、想像していた以上に涼しかった。木材で組まれた壁に沿って、くわや脱穀機のような農具が乱雑に置かれ、埃をかぶっている。ぼくはいくつかの農具を端に移動させて真ん中に空間をつくり、そこに直接寝転がった。土の床は固くてひんやりとしている。目を閉じると、木の葉が擦れる音や、虫の鳴き声が騒々しい。ぼくの住む街は、とても静かだった。みんなが近くに集まって、みんながひっそりと息を潜めて生活をしている。それに比べて自然は大きな音がする。とても落ち着く場所だと思った。しばらくここでゆっくりしようと思った。
横になって目を閉じていると、秋山さんの目を思い出した。黒い網膜には、魚眼レンズのように拡大されたぼくの顔と、部屋の白い壁が映っている。ぼくはその薄い網膜の表面の黒に吸収されるように入り込むことで、秋山さんのもっと奥の方を見ようとしている。目の前にある、湿度を持った滑らかな眼球を舐めてみたいと思った。そうすれば、秋山さんの中にさらに入っていくことができるだろうか。
続けて、ぼくの人差し指と中指が沈んでいく、その肌の弾力を思い出した。肌に沈んでいくぼくの指に、硬い骨が当たった。秋山さんが伸ばした腕は、しなやかな木材のように骨が組み重なり、すらりと長く伸びていた。軟骨が、綺麗に伸びる骨を、滑らかな曲線で接続している。
秋山さんの骨に触れて、ぼくたちは元々魚だったんだ、と思った。ぼくたちは広大で透き通った海を泳いでいた。今この瞬間に横から鯨や鮫がやってきて食い殺されるかもしれなかったが、それでも海はとてもひんやりとしていて、気持ちがよかった。そしてぼくたちは段々と、水を掻いて泳ぐために使っていたヒレの、骨の形を変形させていった。ヒレの骨は、四肢になった。ぼくたちはカエルになっていた。陸上に上がり、鯨や鮫から逃げ切ることができたのだった。もっと遠くを見渡せるように、さらに骨を変形させた。ぼくたちは立ち上がれるようになった。そして、今ぼくの指が触れている、秋山さんの、この骨になった。
秋山さんの右側の胸とお腹の間のあたりの肌に触れて、指を沈み込ませる。秋山さんは優しい小さな吐息を漏らした。助骨は、肺を抱きかかえるようにして、胸の膨らみからお腹におりていく美しい曲線の輪郭を形づくっている。肋骨の隙間に指が食い込む。秋山さんの肺はフウセンカズラのように膨らんで息を溜め込んでいる。溜め込んで、吐き出すことを繰り返す、その静かで優しい躍動によって、ぼくの指が上下に揺れている。その間ぼくたちはずっとお互いの目を見つめている。
続けて、3つのプロジェクトのことを思い出した。ぼくはもう全く連絡を返していなかったので、きっとプロジェクトの話は立ち消えになっているだろう。ぼくはきっともう信頼の全てを失っているだろうし、あの丁寧で謙虚な口調の彼らに二度と頼られることもないだろう。数週間前の自分であれば感じていたはずであろう罪悪感のようなものも、もう全く感じなくなっていた。ぼくはどうしてしまったのだろう。もうぼくには、誰かを思いやるという気持ちがなくなってしまったのだろうか。ぼくは昔から、そういう気持ちを持っていたことを、むしろ誇りにさえ思って生きてきたはずだった。その能力を使うことで、友人を増やしたり、誰かがぼくのことを異性として好きになったり、仕事で成果を出したりしてきたのだった。これまでぼくが優位に生き残ることができてきた武器であるその能力を、完全に手放してしまったような気持ちになった。ぼくは悲しい気持ちになったが、不思議とすごく安心もした。横になってしばらく考えごとをしていると、ぼくはまた睡魔に襲われた。
夢の中でぼくは、森の中にいた。植林された人工的で綺麗な森ではなく、いかにも足を踏み入れづらそうな背の高い藪が生い茂っていたり、見たこともない葉の形の植物が生えていたりするような、植生豊かな森だった。目の前は斜面であり、ぼくは草を掻き分けながらそこを登っていこうとしている。後ろを振り返ってみると、木の間から遠くに小さな集落が見えた。ぼくは前を向き直して、森の奥に進んでいくことにした。
藪は背が高く、なおかつ想像していたよりも頑丈だった。歩こうとしても、藪に体をせき止められて前に進むことができない。ぼくは腰に下げていたナイフを手にとり、藪の中心あたりを切りつけながら、掻き分けていくようにして少しずつ森の斜面を登っていった。それはぼくのお気に入りのナイフで、森に入るときにはいつも持ち歩いている相棒のような存在だった。ナイフは1枚の鉄から作られていて、包むように折り曲げてつくられた持ち手の部分は、丸みを帯びながら少しだけ婉曲して勾玉のような形になっており、それが手にすっぽりと馴染むのだった。
ナイフを手に握り込んで、骨と関節のしなりを最大限に利用しながら、腕を大きく振るう。丁寧に研がれた鋭利な刃によって、目の前の植物の茎を構成する無数の細胞壁が切り裂かれる感触が、手のひらに伝わってくる。その感触を丁寧に確かめるように、ぼくは何度も何度もナイフを振った。そして、その度に孤独になっていくのを感じた。それは寂しくて悲しいということだけではなく、同時に安らぎのような穏やかさと心地よさをもたらしてくれるような種類の孤独だった。
ぼくは藪を掻き分けて、どんどんと森の奥に進んでいった。藪が密集している場所を抜けて、視界が開けた。周囲の森を見渡せる場所に出た。下を見ると、大きな岩がたくさん転がっていて、右側から左側に向かって水が流れている。水が流れている川の向こう岸は、また森の斜面が続いている。ぼくは斜面を下って、川の方に降りていった。木の幹や、地上にせり出ている根に足をひっかけながら、急な斜面を下っていく。川のふもとまで着いた。川は足首が浸かる程度の浅さだった。川の水は透明で、底に転がっている石ころがそのまま見えるほどだ。靴と靴下を脱いで裸足になって、川に両足を踏み入れた。水はとても冷たかった。ひんやりとした流体が、ぼくのくるぶしを包んで、押し流そうとするように、触れ続けてくる。ぼくのくるぶしへの接触はとても優しかった。ぼくには優しすぎると思った。
靴を履き直して、再び森の奥に向かうことにした。そこからしばらく森を歩いた。斜面の登りと下りを、3回ほど繰り返した。休みなく歩き続けたのでそろそろ休憩をする必要がありそうだと考え始めていた頃に、再び小高い場所に出た。
森の向こう側の斜面の同じ高さほどの場所に、小さな黒い影のようなものが見えた。目を凝らしてじっと見つめてみると、その黒い影はかすかに動いているようだった。熊だ。ツキノワグマだ。それは、ぼくがずっとこの森を歩き続けて探していた、熊だった。ぼくは一気に体に緊張が走るのを感じた。体が硬直しそうになり、後ろを向いて引き返したい気持ちに駆られたが、熊の見える方向へ静かに近付いていくことにした。音を立てないように斜面を下り、先程黒い影が見えた場所に向かって、ゆっくりと、足を一歩ずつ踏み出していく。ぼくは背中にかけていた猟銃を手にとって、ゆっくりと構えた。気配を殺して少しずつ熊に近付きながら、銃の弾丸を外してしまうことを想像した。そうなれば、きっとこちらに気付いて危険を感じた熊は、ものすごい速さでぼくに近付いてくるだろう。ぼくは咄嗟にナイフを構えようとするが、慌てていてなかなかカバーから取り出すことができない。熊は走って向かってくる勢いをそのままに大きな腕をぼくに向かって振り下ろし、その鋭利な爪によってぼくの右側の首の根元の肉が斜めに引き裂かれる。大きく開いた傷口からは血が流れ出て止まらなくなる。すぐに意識を失って、倒れる。そのツキノワグマは相当に空腹であり人間の肉が食べられることを知っていて、そのままぼくの胴体は熊に食べられる。ぼくは熊の一部になる。ぼくは熊の部分となって、とても安心した顔をして死んでいる。2つだった体が、1つになる。頭に浮かんでくる死のイメージを何度も反芻しながら、ぼくは足音を一切立てないように気を付けて、一歩一歩足を運んでいった。
木々の間から、遠い一本の木のふもとに黒い影のような固まりが見えた。点は移動せずに、その場でごそごそと小さく動いている。熊は座ってブナの実を食べているところのようだ。ぼくは近くにあった茂みに身を隠して銃を構え、じっと様子を伺った。これ以上近付くと気付かれる可能性が高くなるため、ブナの実を食べ終わってからの行動を確認して次の動きを決めることにした。しばらく息を潜めていると、黒い固まりはぬっと縦に長い形になった。立ち上がったようだ。さらに縦長の黒は動き始め、こちらに向かってゆっくりと移動を始めた。まだぼくの存在には気付いていないようだ。その場に身を隠し続け、銃の射程範囲に入ってくるまでじっと待つことにした。銃を構えたまま、ゆっくりと呼吸をする。自分の意思によってまぶたさえ動かさずに身を固めているのか、それとも、熊が迫ってくる緊張感によって体が硬直しているのか、自分でも分からなくなっていた。とにかく今は目に映る黒い点に意識を集中しよう。
再び、ぼくの首の右側の根元の肉が鋭利な爪によって引き裂かれ、開いた肉の間から血が噴き出てくるイメージが頭によぎった。ぼくは普段からよく、自分が死ぬイメージをする癖があった。近所の工事現場の隣を歩いている時には、持ち上げられた大きな鉄骨が自分に落ちてくるイメージをする。鉄骨はぼくに直撃して、頭蓋骨は割れ、胴体の肉は潰れてしまう。ぼくはそのことに気付く間もなく死んでいて、とても不服そうな表情をしている。目の前の踏切を電車が走っている。電車の車輪の下敷きになる。ぼくの胴体は潰れて、背骨はめりめりと音を立てて砕ける。胴体の想像だけだと物足りなくなって、人差し指でもイメージしてみる。電車のあの大きくて重い、鉄の塊のような車輪と、線路の冷たい鉄のレールの間にぼくの人差し指が入り込む。人差し指の第二関節のあたりの骨が砕ける。それはとても痛いだろうなと思う。普段の生活の中で、いつもふとそんなイメージが頭によぎる。東京では、そんなふうに死ぬイメージをした後いつも、決まってぼくはとても嫌な気持ちになる。そんな死に方はしたくない、と思う。
だが、今自分の方にのそりのそりと移動して近付いてくる熊に引き裂かれる時のイメージの中のぼくの顔は、とても穏やかだった。それは、ぼくを殺した生き物が、ぼくのことを食べてくれるからかもしれない、と思った。今目の前にいるのはツキノワグマだったが、彼がもし相当に空腹であれば、もしかしたらぼくのことを食べてくれるかもしれない。それはとても嬉しいことだと思った。電車に轢かれて死んでも、電車はぼくのことを食べてはくれないだろう。鉄骨をぼくめがけて落としてしまった工事現場のおじさんは、ぼくのことを食べることなんてそっちのけで、急いで救急車を呼んでしまうだろう。そのことにとても悲しいと感じて、いつも死のイメージを繰り返しては不服な感情にさいなまれるのだった。
縦長の黒は段々と大きくなってきて、すでに熊の体の形が見えるようにまでなっていた。熊は銃の射程範囲に入っていた。熊が左を向いたので、心臓を狙うことにした。熊の肋骨を想像する。人間の骨と同じように、臓器と肺を優しく抱え込むようにして、背中から体の前面に向けて骨が美しく弧を描いている。そうか、この熊も、かつてはぼくと同じ魚だった。同じようなヒレの骨の形をしていて、広い海の水の中を、隣同士で気持ちよく泳いでいた。そして気持ちよく泳いでいたその瞬間に、ぼくもこの熊も同じように、鮫や鯨に横から食い殺されるかもしれなかった。それでも海の中を二人で一緒に、骨と関節を使って体全体を大きくしならせて泳いでいくことは、とても気持ちがよかった。
かつて一緒に広い海を泳いだ旧友である彼は、ヒレの骨をぼくよりも大きくてふっくらとした四足歩行のための四肢に変形させたようだった。そのことがとても愛おしいと思った。この熊の、ぼくと違う骨の形の1つ1つを想像して、その1本1本の骨のことをすごく愛おしく感じた。ぼくよりも縦長で、ほっそりとした頭蓋骨。逞しい体の全体像をつくる大きな背骨が、頭蓋骨からすらっと伸びている。背骨からは美しい肋骨が生えている。頭から数えて二番目と三番目の肋骨の隙間を想像する。肌は厚い毛に覆われている。毛の下に哺乳類の36度を感じる。恒温動物の温かさだ。ぼくみたいな生き物を食べて、その栄養で体内から熱を発し続けている。その肌の下には、その生温かさを巡らせている血液を送り出す臓器、心臓がある。ひんやりとして温度を持たない弾丸の鉄の塊が、肋骨の隙間からその温かい肌に沈み込んでいくイメージをする。ぼくは銃を構えたまま息を深く吸った。息を止める。引き金を引いた。
直後、熊は身を悶える。身を屈め動いているが、しばらくすると動かなくなった。ぼくはその黒い塊の方に近付いていった。斜面の土の上にうなだれるように身を屈めていたその黒い塊は、体重100キロほどはあるだろう大きなツキノワグマだった。ギリギリの距離まで歩いて近付き、おそるおそる銃の先端でその黒い塊を突き、絶命していることを確認した。ぼくは熊の手首の部分を何とか掴んで持ち上げて、重い体を引っ張った。熊は仰向けのような体制になり、胸に広がる白い三日月の模様が広がった。とても綺麗な月だと思った。ふいにその模様のことをとても愛おしく感じた。ぼくの胸のあばら骨の表面の肌に、今見えているそのままの位置と形でこの三日月を彫り込みたい、と思った。
ぼくの打ったひんやりとした弾丸は、左側の肋骨の間から入り込んで、まだ今もほのかに温かいその肌を突き破り、肉をえぐりながら進み込んで、躍動する心臓か肺のどちらかに穴を空けたようだった。仰向けになってもう息をしていないその生き物を見て、ぼくはとても可哀想で、可愛いと思った。それでも、罪悪感のようなばつの悪い感情はぼくの中にはなかった。むしろぼくはとても安らかで、ほっとした気持ちになっていた。
熊の体は、掴みどころがなかった。かろうじて手首の部分を掴んで、引きずるように熊を運んだ。体はとても重く、よろめきながら山の中を進んだ。広い場所に出たところで、手を離して、再び熊を仰向けに寝かせた。熊は動かずに体を広げたまま、まどろんだような目で、じっと空を見つめていた。ぼくは立ったまま手を合わせて、目を閉じた。熊の胸に広がる白い月の模様を想像した。裸のぼくの胸に同じ形の白い月の模様が浮かんでくることを想像した。ぼくと熊は同じ海を泳いでいた。同じ1つの命だった。いつの日かその生命は分離して、再びここで出会った。そしてぼくは熊の生命としての機能を停止させた。これからまた、命は1つに戻っていく。それは、元あったように戻るだけのことだった。ぼくの胸に彫り込まれた白い月が明るく浮かび上がっていくほどに、とても安らかな気持ちになっていった。いつしかはぐれてしまった命と再開させてくれた、この山に感謝した。
目を開けて、腰に下げていたナイフを手にとった。熊の体にナイフの先端が入り込む。皮を剥ぐための切り込みを腹から後ろ足へ、その後前足から首に向けて体全体に入れていく。そのあと熊の体の中身を外側に開いていくようにしながら、皮と肉を切断していく。皮の直下には白くて弾力のある脂肪が蓄えられており、ナイフがヌメり刃がうまく進んでいかない。脂肪を切断しながら、皮と肉体を引き離していく。ようやく皮の全体が切り開かれた。広げられた熊の毛皮の絨毯の上に、白とピンクと赤の混ざった、骨と肉体と内臓で構成される肉の塊がどすんと載っかっているように見える。熊の体は、その全てが人間が生きるために使われる。ぼくがあとほんの少しの間だけ生きながらえるために、この生き物の全てを利用する。肉は鉄分となって、ぼくの36度の一部になる。骨も肉と一緒に煮込む。毛皮は冬の寒さや棘のある植物から身を守ってくれる。血、脂、胆のうは滋養強壮の薬として使う。これまでも人間は熊の胆のうを、飲みすぎ食べすぎに、不妊治療に、強壮剤に、と様々な用途で使ってきたのだった。
腹の肉を切り開く。胆のうから順に内臓を1つずつ取り出して、脇に丁寧に並べていった。次に、背骨と肋骨を外した。取り外した肋骨は、三日月のように規則正しく綺麗に並んでいた。乳白色の骨にこべりついた、肉に血の混じった深い朱色がとても美しいと思った。ぼくの肋骨もこんなに美しいのだろうか、と自分の体の内部を想像する。肉を大きな塊に分けて、臓器と骨の横に順に綺麗に並べていった。解体の全ての工程を終えると、入る分だけをリュックに詰めた。分量を見て、あと2往復ほどは必要かもしれない、と思った。最初の森で後ろを振り返った時に見えたあの小さな集落。あの村にこの命の全てを持って帰るために、ぼくはリュックを背負って立ち上がった。
木の板の隙間から漏れてきた日の光で、目が覚めた。周囲は明るくなり、朝になっていたようだった。とても気持ちのいい目覚めだった。これまでの人生でも、子供の頃以来感じたことのないような、気持ちのいい目覚めだと思った。
第四章 北の集落
ぼくは北に向かうことにした。立ち上がって、リュックを背負い、倉庫の扉を開けた。太陽の位置からすると、朝7時か8時くらいだろうか。近くで鳴っている水の音の方向を頼りに、山道を歩いた。ほどなくして小さな川に辿り着いた。ぼくは川の水で顔を洗い、気がすむまで直接川の流れに顔をつけて、ゴクゴクと水を飲んだ。美味しかった。流れている水は透明だった。水道から出てくる水は、流れていなかったんだと思った。どこかに貯水され、自然には存在しない真っ直ぐな道を通ってくる。水への感じ方や関わり方がいつのまにか変わっている、と思った。
立ち上がって、ぼくは北の方向を向いた。川の流れから見て上流の方に歩いて進んでいった。ぼくは山道をひたすらに歩いた。登りと下りを何度も繰り返しながら、山の奥に進んでいった。
急勾配な坂をやっとの思いで登りきったところで、唐突に森が拓けて、集落が現れた。100人ほどの規模の村だろうか。家屋が40棟ほど、植物が密集しているように建っており、その周りを田んぼや畑が取り囲み、さらにその外側を森が囲んでいる。ぼくはお腹が減ってきていたので、この村で何か食べ物を分けてもらえないか尋ねてみようと思った。
集落の中心部まで歩いていくと、商店のような建物が目に留まった。その他にはお店らしき建物は1つもなく、ここだけが看板を掛けている。ガラスの引き戸になっていて、中を覗くと棚が見えた。物が並んでいる。生活用品が多いようだった。ぼくが中を覗いていると、50歳前後くらいのおばあさんがお店の奥から現れた。ぼくは少し驚いたが、勝手にお店を外から覗きこんでいることに罪悪感を覚え、とっさに戸を開けた。ぼくはおばあさんに会釈をした。
「どこからきたの。」
とおばあさんがぼくに尋ねた。この村の人間でないことは、身なりや容姿できっとすぐに分かるのだろう。
「東京からです。」
とぼくが答えると、おばあさんは軽く頷いた。ぼくが棚に並んでいる野菜を眺めていたら、おばあさんが言った。
「どこで食べる気だい。当てがないなら、うちで食べていくかい。」
ぼくにとっては、それはとても有難い提案だった。
「いいんですか。ぜひお邪魔したいです。」
「じゃあ、ついておいで。建物の奥がわたしが住んでいる家になってるからね。」
「ありがとうございます。お邪魔します。」
おばあさんは、商店の奥に靴を脱いで上がっていったので、ぼくも靴を脱いでそれについていった。
商店の奥は、よくあるような日本の木造家屋の民家のようになっていた。畳の部屋に通されて、そこに座っておいてと言われた座布団の上にあぐらをかいた。しばらく部屋を眺めていると、おばあさんがお茶を出してくれた。
「ありがとうございます。」
「ご飯、つくってあげるからゆっくりしておき。」
そう言っておばあさんはまた奥の台所の方に入っていった。部屋の窓のふちには、こけしや動物の置物などが並べられていた。どれも、どこかで見たことがあるようで、ないようなものばかりだった。この村落の独自の文化なのだろうか。部屋を眺め回すのにも飽きて、ぼくはリュックから本を取り出した。主人公のグレゴール・ザムザは衰弱して、家族に愛情を感じながら、とうとう力尽きてしまった。
おばあさんが、お盆に乗せてご飯を持ってきてくれた。牛肉とさやえんどうをしょうゆで煮込んだおかずと、長ネギのお味噌汁と、ご飯が並べられていた。
「こんなに素敵な昼食を、本当にありがとうございます。」
「いいんだよ。わたしも食べるからね。少し余分につくっただけだよ。」
手を合わせて「いただきます。」と言って、おばあさんとぼくは一緒にご飯を食べ始めた。お肉とさえやんどうを一緒に口に入れる。しょうゆの汁に牛肉の脂のコクとさやえんどうの甘みが移っていて美味しい。炊きたてに特有のテカテカと光を反射しているお米が、お茶碗に盛られている。口の中にしょうゆの甘みが残っているうちに、お米をかきこんだ。粒が立っていて、噛むごとに口の中にじんわりとした甘みが広がっていく。お味噌汁をずずずと飲む。ぼくはひたすらに食べた。その間、おばあさんとは一言も言葉を交わさずに、無心に食べ物を口に運び、咀嚼し続けた。ぼくはご飯を食べながら、自分が涙を流していたことに気付いた。食べ物ってこんなに美味しかったのだろうか、と思った。食べるという行為は、涙が出てくるようなことだっただろうかと疑った。そうか、忘れていたんだ、と思った。初めてこのことを知ったのではなくて、ずっと昔に知っていたことを、今思い出したんだ。ぼくはずっと「食べる」ということの意味を忘れていたんだ、と思った。
ぼくは涙でボロボロになりながら、それを拭いもせずひたすらに食べ物を口に運び、咀嚼し続けた。その間おばあさんは何も言わず、ゆっくりと箸を動かしている。最後の味噌汁を飲み終わって、ぼくは箸を置いた。その直後、途端に嗚咽が止まらなくなってきて、ぼくは声をあげて泣いてしまった。置いた箸と、空になったお茶碗を見つめて、ひたすらに声を出しながら泣いていた。自然と涙が止まるまで、かなり長い間、ぼくは泣いていた。嗚咽が治まってきたとき、「おかわり、いるかいな。」と、おばあさんがぼくに尋ねた。ぼくは震えてしまう声を抑えるようにして、「大丈夫です。とてもおいしかったです。」と何とか答えた。声を出したことで、何か別の堰が切れたような感覚がして、ぼくはまた嗚咽と涙が止まらなくなってしまった。自然と涙が止まるまで、ぼくはひたすらにその場で声を出しながら泣き続けていた。
ぼくは泣き疲れて、そのままその畳の部屋で眠ってしまった。目が覚めた時にはもう部屋は暗くなっていた。台所から、橙の優しい灯かりがこぼれてきている。
「泊まっていくかいね。」
ぼくが目を覚ましたことに気付いて、おばあさんが台所からぼくに声をかけた。ぼくは、
「ありがたいです。」
とだけ返事をした。初対面の人間を家に泊めるなんて、余程のことだろう、と思った。泊まる側としても、いきなり泊めてもらうなんて失礼にあたるのではないだろうか。そう思いつつも、ぼくはおばあさんの優しさにそのまま甘えてしまおうと思った。もっと驚きながらお礼を伝えたり、申し訳なさそうにした方がいいのかもしれないという考えもよぎったが、ぼくにはもうそんなことは必要なくなってしまった、と思った。
「2階に部屋があるからね、その部屋に寝たらええよ。」
畳の部屋を出て、廊下から階段を登ったすぐのところの部屋を案内してもらった。以前誰かが住んでいた部屋のようで、仕事をするのに心地よさそうな木の机と、大きな本棚が置かれていた。
「布団は押し入れにあるから出して使いねぇ。」
そう言っておばあさんは部屋を出て階段をおりていった。
ぼくはおもむろに本棚を見た。壁一面を占める大きな棚に、本がぎっしりと並べられている。写真集や小説が多いようだが、知らない本ばかりだった。ぼくは深緑色の背表紙の、大きな写真集を手に取った。それはとある写真家の写真集だった。彼は世界のあらゆる場所を訪ね、写真を撮っているようだった。その中の1枚に、雪に覆われた写真を見つけた。広大に広がる雪原と氷河の奥の方に、ホッキョクグマが小さく写っている。シベリアで撮影した写真のようだった。その写真を見てぼくは、大きな時間の流れを感じた。それは1人の人間の一生の長さでは到底味わえないような、大きな大きな時間の流れだった。その大きな時間の流れの中では、ぼくはとてもちっぽけな存在だった。ぼくはとても無力だった。たかが100年もこの世界に存在していないような、ごくごく小さな存在。でも確かに、その大きな時間の流れの中に、小さな点としてぼくは存在していた。ぼくはそのことに、とてもほっとするような気持ちになっていった。
ぼくは他にもいくつかの写真集を手に取り、しばらく机に座って読んでいた。ふと、机の横に大きなアタッシュケースのような箱が置いてあるのが気になった。ぼくは箱を開けて、中を見たい衝動に駆られた。他人の家のものを勝手に覗くのが良くないことであることは分かっていたが、自分の好奇心を止めることは難しかった。もしもあのおばあさんがそのことを知ったとしても怒らないだろうと思った。むしろおばあさんは、ぼくにこれを見てほしかったのではないかとさえ思った。そうだ、きっとこれを見せるためにぼくをこの部屋に案内したのだ。
箱の蓋を持ち上げてみると、そこにはカメラの機材が沢山並べてあった。見たことがないくらいに大きくて長いレンズが、綺麗にいくつも並べられている。どれも使い込まれているが、それでいて手入れが丁寧に行われていることを感じさせるようなずっしりとした光沢感を感じた。ぼくはそのうちの1つのレンズを手に取った。望遠レンズのようだ。カメラのボディも取り出し、レンズを取り付けてみた。ボディを右手で握り込んで、大きなレンズを左手で支えるようにして持った。夢の中で熊を打った、あの狩猟銃を構えた瞬間を思い出した。ずっしりとしていて、動物を殺すような重みを感じた。しばらくカメラを持ったまま、その重みを感じていた。
おばあさんが階段から上がってくる音がしたので、ぼくはとっさにカメラを箱の中にそっと置いた。おばあさんが部屋を覗いて、
「晩ご飯、できたよ。食べるかい。」
ときいた。ぼくは
「ありがとうございます。」
と言って、立ち上がった。
夕食は魚料理だった。白身の川魚を焼いて塩を振ったものと、長ネギのお吸い物と、ご飯だった。おばあさんの料理は素朴であり、特別なことをしているようには思えなかったが不思議とどれも本当に美味しかった。ひと口食べ進めるごとに、また涙が出てきそうになった。ふと、おばあさんが呟くようにして言った。
「あのカメラ、息子のものなんだよ。」
ぼくは、
「そうだったんですね。」
とだけ答えた。おばあさんの口調から、ぼくが勝手に箱を開けて、さらにカメラを手にとって触っていたことまできっと知っているだろう、と思った。
「ヨーロッパに行くと言ったきりもう10年以上帰ってなくて、連絡もとれなくてねぇ。どこかの山の中ででも死んどるんだろうけどね、いつか帰ってきた時のために部屋もそのままにしとる。」
おばあさんの息子は写真家で、世界の色々な場所に赴いて、自然の風景やそこにいる動物の写真を撮っていたらしかった。ぼくはおばあさんの話に何を答えるでもなく、小さく頷きながら、箸を動かし続けていた。
その夜、ぼくは布団に入って横になってからしばらく、カメラを握り込んだ時の感触が頭から離れなかった。握り込んだ時に自分の掌に伝わるザラザラとしたグリップと、左手にズシと載る大きなレンズの重み。その感触は生々しくぼくの記憶にこべりついて、とうとう眠りに落ちるまでぼくはイメージの中で何度も何度も繰り返しカメラを握り込んでいた。
朝、目が覚めた。ぼくはリュックに入れてきていたコーヒーの器具を取り出した。台所でコーヒーを淹れることにした。どうやらおばあさんはもう先に起きていて、外に出ているみたいだった。いくつかの種類を持ってきていた中から、今日はエチオピアの優しい香りのコーヒーを選んだ。ゆっくりとコーヒーを挽く。破砕された植物の細胞壁の間から、閉じ込められていた香りが溢れてくる。コーヒーの様子をじっと見つめながら、お湯を注いだ。ぼくは一口コーヒーを飲んだとき、ずっとここに居たい、と思った。コーヒーの温かい液体が口の中で心地よい香りを鼻に届けてから、喉をゴクリと通り過ぎて、体の中にじんわりと入り込んで浸透していく。ぼくは、自分が今までに感じたことのないくらいに、とても安らかな気持ちになっていることに気付いた。
居間でゆっくりとコーヒーを飲みながら木彫りの動物を眺めていたら、商店の引き戸の開く音がきこえた。そのまま奥に歩いてくるのがきこえたので、おばあさんが帰ってきたということだと分かった。おばあさんが居間を覗いてぼくに言った。
「これから野菜取りに行くけ、手伝ってくれんかの。」
ぼくは特にやることもなかったので、手伝わせてもらうことにした。
集落は、中心に建物が立ち並び、その周りを田んぼや畑が取り囲んでいるようになっていた。おばあさんの畑は、商店から車で3分ほど走ったところにあった。畑は思っていたよりも広く、いろいろな種類の野菜や果物を育てているようだった。
「茄子と、トマトとろか。とり方わかるかえ?」
ぼくは幼少期におじいちゃんの畑に連れて行ってもらっていた記憶がかすかに残っているくらいで、それ以来畑という場所に来たことさえなかった。
「とり方、分からないです。」
「やるけ、見とき。」
そう言っておばあさんは茄子を3本、トマトを2個とってぼくに手渡した。
「茎のところつまんで取るの。わたしは草抜きと水やらないかんから、茄子とトマト、あときゅうりとニラも適当にとっておいてぇ。そこに鎌あるから。」
「あの、ニラのとり方…」とぼくが尋ねようとした時には、おばあさんはもうすでに畑の奥の方にさっさと歩いて行ってしまっていた。どれくらいとればいいのかも分からないし、ニラなんて収穫したこともなかった。仕方がない。手探りでもやってみるしかないだろう。怒られたら、それはそれでいいさ。
ぼくは茄子を10本、トマトを6個、きゅうりを8本もいだ。どれも、大きく実っていた。実らせた果実は、種子をたくさんつけている。種子を含んだ果実はその体に栄養を存分に蓄えて、鮮やかな色をまとっている。果実の鮮やかな色彩は「自分を食べてみろ、栄養があるぞ。」と捕食者に伝えているのかもしれない。その鮮やかな色彩に誘惑された動物は、その果実を頬張る。自分のために栄養を補給した動物は同時に、その野菜や果物が種子を遠くに散布することを手伝っていることになる。それぞれが自分のために生きるということが、他者を生かすことにつながっていた。ぼくたちは他者の「生きる」ことを都合よく利用しながら、それぞれが利己的に生きている。ここでは利己が利他になることは、結果としてのことでしかなかった。
ぼくは収穫した野菜を車の後部座席にそっと並べた。次に鎌を手に取って、ニラと思われる野菜が生えている区画へ向かった。スーパーに並んでいるニラの姿を想像した。おそらく下の方から鎌で刈り取ってしまえばいいのだろう、と大雑把に推測した。高く生えたニラの前にしゃがみこんで、鎌の木製の柄の部分をぐっと握り込んだ。上の方をまとめて掴んで、恐る恐る根に近い部分に刃を当てる。空に向かって力強く伸びた緑を支えている、その体を断裁していく。植物の細胞が、鎌の刃によって引き裂かれていく感触が手のひらに伝わってくる。ぼくは、これから人間がこのニラを食べることを想像しながら、手のひらに伝わってくる他の命を断ち切っていく感触を心地いいと感じていた。いくつかニラを刈っていった。やり方を間違っていたらまずい、とふと我に帰り、5束ほど刈ったところでとめた。
車に戻り、後部座席の同じところにニラも並べておいた。ぼくは一通りの仕事が済んだので、おばあさんが作業している方に向かった。草抜きをしているおばあさんに向かって尋ねた。
「野菜、とり終えました。他に何かすることありますか?」
「ありがとうね。じゃあもう帰ろうかね。続きは今日の夕方やるから。」
おばあさんはそう言って車の方に歩き始めた。ぼくもそれについて歩いた。
ニラの収穫方法が合っているのか不安だったが、おばあさんは後部座席に並んでいる野菜をちらと見て「ありがとうね。」とだけ言ったので、おそらく致命的な間違いは犯してはいなかったのだろう、と安心した。数は、これでよかったのだろうか。収穫する数量を事前に伝えてくれたら、しっかりとその期待に応えることができるのになあと少し不安な気持ちになった。だが、そういうことはもうぼくには必要なくなっていると思った。そういうことがもう必要ないと感じられることは、ぼくにとってとても安らかな気持ちになることだった。
家に戻り、おばあさんはいくつかの野菜を商店の棚に簡単に並べて、余ったものを奥に持って行った。ぼくはいつもの居間の、いつもの座布団に座った。おばあさんは台所で野菜を切り始めた。おばあさんはぼくにきこえる声で、
「お昼つくるけの。」
とだけ言った。農作業をして少しお腹が空き始めていたので、ぼくはとても嬉しくなった。ぼくはおばあさんのつくるご飯が大好きになっていた。
おばあさんがご飯をつくっている間、ぼくは棚に並べられた木彫りの動物を何をするでもなく眺めていた。熊のような動物もいた。目は実際の熊の顔のパーツの比重よりも大きく掘られていて、それが何とも言えない愛らしい表情をつくっていた。その表情は、生き別れた子供と偶然再会できた喜びなのだろうか。それとも今まさに人間に撃ち殺されそうになっている表情なのだろうか。
おばあさんがお盆に並べて昼食を持ってきてくれた。茄子とニラと卵を醤油で炒めたおかずに、葱のお味噌汁、白米が並んでいた。ぼくは「頂きます」と言って、食べ始めた。醤油の汁にニラの甘みが移っていて、甘くて美味しかった。ニラがこんなに美味しいことを知らなかった。それはぼくが断ち切った命の一部だった。それでもニラの根は生きているはずであり、またあの切った部分から生えてくるのだろうか、とニラの命について全く知らない知識で想像した。土や植物は、生きていることと死んでいることの境目が重要ではないんだ、と思った。土の中では、死んでいることと生きていることが、乳化するように綺麗に混ざり合って混在していて、その違いを逐一区別していく必要はなかった。ニラの甘みと醤油の塩分が染み込んだ茄子を一口食べて、ぼくはまた涙が出そうになった。
おばあさんに何の事情も説明せず、ただここに居着いて、何食わぬ顔をしてご飯を食べている。そのことを考えるとそわそわして不安になってきて、おばあさんに「なぜこんなぼくをこんなによくしてくれるのでしょうか。どんなお礼がぼくに出来るでしょうか。」と尋ねたくなった。だが、おばあさんがその質問をとても野暮だと感じるということが、なぜだか先に分かるようになっていた。夏の終わりのカフェで秋山さんは向かいの席に座っていて、ぼくの目の黒い部分を見つめながら「あなたはあなたの言葉で喋って、私は私の言葉で喋ろうよって、そう言ってるの。」と言った。そのことをふと思い出した。ぼくはまた秋山さんに会いたくなった。
ご飯を食べた後ぼくは2階の部屋に戻って、本棚にたくさん並べられている写真集を順にじっくりと見ていった。どれくらいの時間そうしていたか自分でも分からなくなるくらい、夢中になってひたすらに写真を眺めていた。ぼくが特に惹かれたのは、動物の写真だった。中でも最初この部屋に来た時に見たような、雪原の過酷な環境で生きている動物たちの写真には特に吸い込まれるように見入ってしまっていた。
ぼくはまた我慢できなくなり、机の横にある箱を開けた。レンズを装着して左手で支えるようにして持って、ボディを右手で握り込む。ファインダーを覗いてみると、本棚に並ぶ本が大きく拡大されて映り込んだ。倍率を調整しながら、部屋のあちこちを覗いてみた。ふとこのカメラで、木彫りの動物を覗き込んでみたくなった。ぼくはカメラを手に持ったまま、音を立てないように部屋を出て、そっと階段を下った。おばあさんがいないことを確認してから、居間に並んでいる木彫りの動物たちを、一体一体順番にファインダーでゆっくりと捉えていった。順番にゆっくりと覗き込んでいって、熊が標準の真ん中に入ってきた瞬間、ぼくは我慢しきれずに、シャッターを切った。シャコンと鳴り、瞬きをしたように目の前が一瞬暗くなった。ぼくは熊をファインダー越しに覗き込んだまま、息を深く吸って、そして細くゆっくりと吐いた。その直後、体にどっと疲れを感じた。ぼくはカメラを置いて、いつもの座布団に座った。座布団で楽な姿勢になったとき、ぼくの体が緊張でこわばっていたことに気付いた。ぼくは心地いい脱力感を感じながら、撃ち殺される瞬間の顔をした熊の目を、しばらくじっと見つめていた。
そのままぼくは居間で、座布団を折り畳んで枕のようにして眠っていた。目覚めた時には外は暗くなり始めていて、おばあさんは台所で夕食をつくっているようだった。カメラは机の上に置きっぱなしだった。息子の大切なカメラを勝手に持ち出して使っていることがおばあさんに知られてしまったことは明白であり、ぼくは後悔した。このあとおばあさんに嫌な顔をされて、もうここにも居られなくなるかもしれない…。その時には正直に無礼を謝って、いそいそと出ていこう。もともとここで勝手に泊まらせてもらって、何食わぬ顔で食事をもらっているというそのことだけでも取り返せないくらいの無礼を働いているので大したことはないさ、とよく分からない言い分で自分を落ち着かせようとした。
でも本当に、もしここにもういれなくなってしまったらどうしよう。そのことを考えると、取り乱しそうになっている自分に気付いた。ぼくは「しばらくここに居たい」と自分が感じ始めていることに気付いた。ここにいる自分は、いつもとても安心していた。この場所では、誰かに何かを期待されることはなかった。ぼくに何かをさせてこようとする命の働きはここにはなかった。ぼくがぼくをただ生きていると感じることができて、とても安心していた。
夕食の間、おばあさんはカメラのことについてぼくに何も言わなかった。ぼくに気を遣っているという素振りも全く感じられなかった。それはまるで、ぼくがそのカメラを自分の物のように持ち歩いていることが当然のことであるかのように、自然だった。夕食の前には、もっとここに居させてもらうためにカメラを勝手に持ち出したことを謝ろうと決心していたが、それをすることがとても不自然に感じられるほどだった。
その夜も、ぼくはカメラを手に握り込んだ感触を忘れらずなかなか寝付けなかった。ぼくは起き上がって、箱の中にしまっていたカメラを布団の横に持ってきた。再び横になって布団に入り、そのままの体制で、カメラのレンズからボディにわたって、そのすべすべとした表面を人差し指でゆっくりとなぞっていった。カメラに触れていると段々と落ち着いてきて、ぼくはカメラに人差し指で触れたまま眠りについた。
秋山さんの夢を見た。秋山さんは、雪原で踊っていた。コンテンポラリーダンスの企画の一環として、シベリア公演に来ていた。ぼくはそこに観客として参加している。秋山さんが踊っているのを見て、次第にぼくも雪の上で体を動かしてみたくなった。我慢しきれず、その場で立ち上がってぼくも踊り始めた。雪は思ったよりも足が沈みこむ。まだ踏み固められていないところを、ぐっと踏んでみる。メリリという、雪の密度が高まる音がした。ぼくは、メリリ、メリリ、とどんどんと自分の周囲の雪を踏み固めながら我を忘れて足を動かした。踊っているうちに、ぼくの周囲の雪は踏み固められ、それがステージのようだと思った。そのステージでは足が沈み込まないので、今度はもっと大きく軽やかに足を上下に動かしてみる。ぼくの踊りによって、ぼくの肉体の動きによって、刻々と変化していく地面の感触に没入していく。息が上がって白い霧がぼくを包んでいく。そこに秋山さんも加わって、今度は2人で体を動かす。ぼくは秋山さんの躍動する体の線を追いかけながら、それに呼応するように夢中になって体を動かしていた。
第五章 露光
ぼくはその集落で、しばらくの間おばあさんと共に過ごした。商店にやってくるおじいさんやおばあさん、隣の畑を耕しているおじさんなど、徐々に集落に住む人たちとも仲良くなっていった。ぼくは毎日おばあさんの畑仕事を手伝い、一人で一通りのことをできるようになっていった。ある日には、鳥に野菜を食べられないようにするためのネットと、ネットを張るための柵を自作したりもした。ぼくが何かを1人でやる度に、おばあさんは「もう立派な百姓じゃあ。」とぼくに言った。
そしてその村で、ぼくは写真を撮り続けていた。最初は商店やその周りの建物を撮ったり、畑にカメラを持って行って野菜や果物の写真を撮っていた。すぐにそれでは物足りなくなり、ぼくは農作業の合間の時間に、集落を取り囲む森に入っていくようになっていた。森に住む鳥や、たまに出会う鹿の写真を撮っていた。森の中で動物の写真を撮ることは、ぼくにとって最も生きていることを感じる行為だった。森の中にいる時には、極度の緊張を感じる。体はこわばっていて、常にセンサーを働かせている状態になっている。音や嗅覚など、視覚以外の感覚が研ぎ澄まされる。森の中では常に、いつ突然自分が死んでしまうのか分からないという恐怖があった。その分、森で写真を撮った後はぐったりしてしまう。森を出て集落に戻り、畑で収穫した野菜を料理をして食べるという行為は、生活に戻っていくことを実感することであり、毎回その行為によってぼくはとても安心していくことができるのだった。それは、無事にまた生活に戻ってこられたことを、毎日お祝いしているような感覚だった。それくらいに、森に入って写真を撮ることは、自分にとっては危険な行為だった。
そうやって農作業をしながら写真を撮る生活を続けて、二年近くの年月が経った。季節は秋になっていた。ぼくはこの集落での暮らしに馴染みつつあり、四季によって移り変わる畑や森のリズムも感じ始めていた。東京には全く戻っておらず、ぼくが残してきたものが今どうなっているのかも分からなかった。仕事をこん詰めていた頃の貯金で、家賃はぼくの口座から引き落とされ続けているはずだったが、それも確かではなかった。パソコンを開いたデスクは散らかったままだったと思うが、そのことを思い出すこともできなくなっていた。もう身元不明で処分されてしまっているかもしれない。それでいいと思った。ただ、秋山さんと会えないことだけが気がかりだった。この二年の間に、秋山さんの夢を何度も見ていた。最近になってさらに、秋山さんが夢に出てくる頻度が多くなってきていた。
また、ぼくは撮影と共に写真の現像も始めていた。商店の2階の奥の小さな部屋が現像室になっており、写真家の息子さんが、撮った写真をここで現像していたようだった。ぼくも二年の間に何となく現像のコツを掴んできて、納得のいく現像ができた鳥や鹿の写真もかなり増えてきていた。もう少し撮り溜めたら、写真集にしてまとめてみようと思っていたのだった。
森の葉はすっかり紅く染まっていた。ぼくは今日もいつも通り簡単に朝食をつくって食べてから、おばあさんと一緒に朝の農作業に出かけた。この日の収穫は夕方に回して、新しくニラとワケギを植えるスペースを耕した。鍬を握り、土を裏返していった。土を柔らかくしていくことで、空気や水が通りやすくなったり微生物が活発化することで、野菜にとって育ちやすい環境になるのだろう、と思った。自然の中では、この「耕す」ことにあたる土の動きのようなものは起こっているのだろうか。起こっているのであれば、それはどんな要因なのだろう。鍬をふるうごとに、自分がなぜこの土を丁寧に端から端まで裏返していくことに自分の肉体を使っているのか、分からなくなっていった。
耕し終えたら、種を等間隔で蒔いていく。種を蒔いていると、ぼくはふと、目の前の土を食べてみたくなった。お腹を壊すかもしれないぞ、そんなことするのは普通じゃないぞ、といった理性が瞬間的に働いたが、その働きによってぼくを止めることは、もうほぼ不可能にさえなっていた。親指と人差し指で土の小さな塊を掴んで、それを口の中に入れてみた。咀嚼すると、ザリザリという音がする。美味しいわけではなかったが、美味しくないとも思わなかった。それは元々ぼくの体の一部であったかのように自然に口の中で溶けていき、そのままするりと飲み込まれていった。
ニラとワケギの種蒔きを終えて、草刈りと水やりを一通りしてから、ぼくはおばあさんと家に帰った。
ぼくはおばあさんにお茶を出して、ぼくの分も机に置いておいてそれを一口飲んでから、また台所に向かった。ぼくは2年も一緒に住んでいるにも関わらず、おばあさんに名前を尋ねたこともなく、反対にぼくがおばあさんに名前を尋ねられたこともなかった。それでいいと思った。ぼくとおばあさんの関係性には、何か特別な信頼感のようなものが育っていると感じていた。名前を呼ばれなくても、ぼくに話しかけたことは分かるので、それでも問題はなかった。ぼくとおばあさんの間では名前も記号であり、その記号でお互いのことを認識する必要さえなかった。おばあさんはぼくがここにいる分には心地よいと感じてくれていることがぼくには伝わっていたし、ぼくはおばあさんとここにいることがとても安心することだと感じていた。利己的に生きていることが、今この時だけはそのまま利他になっているのだと思った。そういう時に、人は誰かと一緒にいたいと思うのだと感じた。
最近はぼくがお昼ご飯をつくることが多くなっていた。ぼくにとってご飯をつくることは、人間の暮らす社会で正常に生活をしていくための、とても大事な活動になっていると感じていた。生活に戻っていくための行為を大事に携えておかないと、森から帰ってこれなくなりそうで怖くなるのだった。
森はいつもぼくを呼んでいて、とても魅惑的にぼくを誘惑しながら佇んでいる。それはぼくにとって限りなく死に近い場所であった。ぼくはそこに入っていき限りなく死に近付いていくという、その行為をやめられなかった。いつも出来るだけ近くまで死ぬことに近付きたいと感じてしまう。だがあくまでも、死にたいわけではなかった。ぼくはとても生きたいと感じている。死のギリギリのところまで近付いて、必死にもがいて、戻ってくる。
それは潜水のようだと思った。息を止めて海に飛び込み、できるだけ深くまで潜っていく。その海底に何があるのかについて、いつもぼくは気になっている。沈没した大型船舶の残骸だろうか、それともかつて栄えた古代都市の海底遺跡があるのだろうか。それともぼくには想像もつかないような自然があるのだろうか。そして、そこには宝があるのだろうか。それとも結局は人の生活の痕跡があるに過ぎないのだろうか。だがいずれにせよ、海底に到着することは、ぼくにとっては死ぬことを意味していた。生きている限り、ぼくは海底の何かをそのままに体感することはできないだろう。それでも、それが何であるのかを少しでもそのままに感じとるために、ギリギリまで近付いていくことを毎日繰り返し試みるのだった。今日はもっと深く、明日は今日よりも深く、明後日はもっと深く…と、毎日を繰り返していく。日々を、その日を生きることを味わい尽くすために使い切る。限界の深さまで潜ったときにぼくは、「まずい。息が続かない。死ぬ。」という強い恐怖を感じる。その時ぼくは、死ぬということを感じている。
海底に近付くほどに、死と生の境界はもともと曖昧だったということに気付く。死はぼくにとってドラマティックに訪れるようなものではなかった。ましてやそれは悲劇的な出来事でも、快楽的な体験でもなかった。それはとても静かだった。潜った深さが限界の境界線を丁度越えてしまったその瞬間に、静かに「ふっ」と息を小さく吐くようにぼくは死ぬのだろう、と感じるのだった。ニラを植えた土の中のように、死ぬことと生きることの境目は、そのくらいに曖昧だった。
だがその境界線のちょうど手前の深さまでたどり着いた瞬間に、猛烈な勢いで「生きたい!」という衝動が体の底から突き上げてくるようにして溢れてくる。そしてぼくは慌てて手と足をバタつかせ始めて、必死の形相になって海面に浮上しようとする。何とか海面から口を出して、ぶわっと一気に息を肺に吸い込む。ぼくは「今日も生きることができた。」と感じて、途方もない安心感に包まれる。自分の右の手首を左手で掴んで、力いっぱい強く握り込んでみる。痛い。そのあと肋骨の隙間に人差し指と中指をぐっと沈み込ませてみる。肺が躍動している。自分の体が確かにここにあって、それがひとりでに動いていることを感じて、それによって自分を安心させてあげることができる。
料理をすることとそれを食べることは、ぼくにとっては、そんなふうにして海面に顔を突き出すための、とても大事な生きることの行為だった。
昼食には、昨日収穫したにんにくとブロッコリーを使って、パスタをつくった。みじん切りにしたにんにくと鷹の爪をオリーブオイルに浸し、弱火でゆっくりと火を入れる。パチパチと小さな泡を立てて、オイルににんにくの香りが広がっていく。ブロッコリーは細かくみじん切りにしておいて、にんにくと鷹の爪と一緒にオリーブオイルに浸してじっくりと火にかける。ゆっくりと火を通すほどに、ブロッコリーの甘みがオイルにこってりと濃厚に移っていく。茹でていたパスタのお湯をおたま2杯分フライパンに注ぐ。大きく腕を振って油とお湯を馴染ませていく。その後、茹で上がる少し手前のパスタをフライパンに入れ、一気に混ぜて馴染ませる。乾燥していた小麦が、オイルに移った全ての香りを吸い込んでいく。
おばあさんとパスタを食べた。おばあさんは何も言わなかったが、美味しいと感じながら食べてくれていることが伝わってきて、ぼくはとても嬉しくなった。ぼくも一口食べる。オイルに染み込んだブロッコリーの甘みが口の中に広がる。美味しい。最近は、自分の料理でも涙が出そうになることがあった。それくらいに野菜は美味しかったし、そもそも食べるということの意味をどんどんと思い出してきていると感じていた。ぼくは食べ終えた二人分のお皿を流しに持っていって、さっと洗って拭き上げ、棚に置いた。
ぼくは2階の部屋に戻って、机の横の箱を開けた。その中からカメラと大きなレンズを取り出して、丁寧に拭き上げていった。自分が普段握る部分から、埃が溜まりそうな機械部品の間の部分まで、丁寧に拭いていった。それはぼくにとって、猟銃のメンテナンスをするようだった。その儀式を怠ってしまうと、ぼくが命を落としてしまうのではないかという感覚がしていた。その分、ぼくは毎日カメラを丁寧に拭き上げて、メンテナンスにゆっくりと時間をかけているのだった。
ぼくはカメラとレンズをケースにしまって、それをリュックに詰めた。ぼくは家を出て、村の中心地から離れた方に向かった。今日は村の北側にある森に入ってみることにした。おばあさんの商店から、歩いて10分ほどで森の入り口についた。森の入り口はぐっと気温が下がり、秋の中ほどであったが、冬の刺してくるような冷たい空気を感じた。このまま森に入ると、もう戻ってこられなくなるかもしれないという、あの恐怖が心の中に生まれているのを感じる。今ではその恐怖は、従うべきぼくの生命防護装置ではなかった。この種類の恐怖は、ぼくが今とても個人的に大事なことに近付こうとしていることを教えてくれる、パートナーのような存在だった。自分がまた別の自分になる時には、いつも恐怖を伴う。人間は現状維持に安心感を覚えるように出来ている。だからこの種類の恐怖は、ぼくが今日違う人間になることの予感なのだ、と思った。
ぼくは森に入って行った。森は背の高い木がたくさん生えていて、昼間とは思えない暗さだった。木は、日光を得るために高くなることを生存戦略として選んだのだった。木が日光を得た結果としての影で、人間は涼んだり、雨を凌いだりしている。そしてぼくの足元には、シダ植物が生えている。彼らは背を低くすることを生存戦略として選んだのだった。それぞれの植物は、それぞれの場所で他の生物にはない特徴を獲得した種が、自分の場所を確保して生き残っているのだった。人間も植物と同じように、自分の生きる場所を確保して、人間が生きるのに必要な水や電気やガスを送り届ける管を、根のように地中に張り巡らせて生きているのだ、と思った。
ぼくは森をどんどんと奧の方まで進んでいった。既に何度も通っている道だったので、地形も自分の体にかなり馴染んできているルートだった。毎回森に入っても、知らないルートを無闇に進むということはしなかった。だが毎日同じルートなわけではなく、毎日少しずつだけ新しい道を進んでみるのだった。自分が戻って来ることの出来る範囲を感じとりながら探るのが、森に入るときに1番難しくて、とても大事なことであった。森はそれくらいには危険な場所だった。遭難した時にまず大事なことは、遭難したことを自覚することだという話をきいたことがあった。それくらいに、自分が戻れる場所を歩いているのか、それとももう正しくは戻れなくなってしまっているのかを自分自身が感覚として把握することは、とても難しいことだった。この辺りでは周囲に村もないはずだったので、森で迷うことは、即ちほぼ死ぬことと同義だった。ぼくが森で学んだ大きなことの1つは「戻ってくる」術をたくさん身に付けていくということだった。
今日は、さらに北側の森のルートの、さらに北の奥に進む道を開拓することにした。ここからは先に行ったことがない、という場所まで来た。そしてまた恐怖を感じる。目の前の地形は、これまで歩いてきた道と同じように見えて、詳細まで見ると全く見覚えのない形をしていた。ぼくは息を深く吸って、吐いた。ぼくは森のさらに奥に進んでいった。
しばらく坂道を登ったところで、視界の広い場所に出た。目の前の斜面を降ったところに、小さな川が見えた。ぼくは下の方まで下っていって、川の流れを見つめていた。小さな魚が泳いでいる。川の流れの上流の方に顔を向けると、遠くの岩の上に、動く茶色の塊が見えた。鹿だ。水を飲みに来ているようだった。鹿に出会うのは久しぶりだった。ぼくはぐっと身が引き締まり、緊張感を覚えた。
ぼくは肩にかけていたカメラを取り出した。黒くて大きなレンズを左手で支え、右手でグリップを握り込み、ファインダーを覗く。この二年間で様々な撮影方法を試してきたうち、最近は三脚を使わずに撮影するこの方法に落ち着いていた。動物と対峙した時には悠長に三脚を構えている暇がないことも多かったし、何よりこの方法がぼくにとって最もファインダーで覗き込んで近付いた、その動物自身と近い存在であれる方法だと感じていた。重いカメラを構えていると疲れで手が震えてくるが、それは猟銃も同じことだった。ぼくの肉体を感じることも、とても大事なことだった。ぼくは綺麗な動物の写真を撮りたいのではなく、この自然の中で生きている動物になりたいと感じていた。写った動物がブレても、全体を捉えられていなくても、それでよかった。それはぼくの体の動きであり、それを感じることはとても大事なことだった。動物になるためにぼくは毎日こうして森に入り、重いカメラを握り込んで鹿の写真を撮っているのだと思った。
もっともっと鹿に近付きたい、という欲望がぼくの内側からこみ上げてくるのを感じる。ぼくはファインダーの倍率を上げていく。鹿はゴツゴツとした広い岩の上で水を飲んでいる。小川を流れていく水がベロに触れて、ひんやりとした感触が舌に伝わる。舌で口の中に放り込んだ水は、今度は喉を通り、体の中の管を通ってどんどんと腹の方に向かって染み込んでいく。そうして小川を流れる目の前の水は、鹿の体の一部になった。
さらに倍率を上げていく。今度は鹿の体の美しい筋肉が見えてきた。ももの筋肉は引き締まっていて、無駄がない。その筋肉で地面を蹴り上げ、跳躍しながら走る姿を想像する。それはとても力強くて、魅惑的だった。骨は、その美しい筋肉をまとわりつかせて、鹿の体全体の輪郭を保っている。肋骨は小さな三日月のように鹿の肺を抱えて、優しく包んでいる。呼吸をする度に、肌から浮き上がってくる肋骨の美しさを感じた。
その時ぼくは、鹿になっていた。同時にそのとき鹿のことは人間に見えた。今この時、鹿はぼくと全く同じ生き物だった。ぼくと同じ命だったと感じていた。それは、元々僕たちの命が1だったことを思い出すという事だった。鹿と人間のどちらかということを区別することは、ここでは重要なことではなかった。今この目の前にいる鹿が何を感知していて、どういうことをしようとしているのかが手に取るように分かった。前足の筋肉がピクリと動いて、足を踏み直す。水を飲むのを一度休憩して、顔を上げる。辺りが安全かどうかを見渡してみる。また水を飲む作業に戻る。その動きをぼくもそのままにしていることを想像して、その動きを通して感じる体の感触や、温度や、音や、欲求の満たされ方を感じていく。それは脳を騙すような感覚だった。人間の脳は肉体とひとつであるのではなく、脳単体として機能し、それが肉体に紐付いて合図を出しているに過ぎなかった。ぼくは鹿の命を自分の体で感じていくほどに、鹿の命がたまらなく可愛いと思った。
殺したい。この美しくて無駄のない筋肉を持つ生き物を、今すぐに殺してあげたい。命が1つであったことを感じるほどに強く、この目の前の生き物のことを可哀想で、可愛く感じていく。または、ぼくが今すぐに殺されよう。どちらが死ぬのかは問題ではないと思った。どちらが殺されても、ぼくたちは結局もとの命のように1つに戻れるだろう。そのことを想像するとぼくはとても安心するのだった。あたたかいと感じて、嬉しくなってしまうのだった。どうしても目の前にいるこの鹿を殺したい。今すぐにぼくの手で君を殺してあげたい。または君の手でぼくを殺してほしい。そうすれば、ぼくはもっと安心できる。
堪え切れないという感情を抑えて、ぼくは息を深く吸った。そしてゆっくりと吐く。そのまま静かに息を止めてから、シャッターを切った。目の前が一瞬暗くなって、また明るくなった。鹿はまだファインダーに映っていたが、ぼくはどっと体全身の疲労を感じて、カメラを足元に置いてその場に座り込んだ。それはとても心地いい疲労感だった。ぼくはとても安心していた。ぼくは鹿を殺してもいなかったし、ぼくが鹿に殺されてもいなかった。そうだとしても、ぼくはとても安心することができていた。心に湧き上がっていた、目の前の美しくて可愛い鹿を今すぐに殺してあげたいという衝動は、安らいで静かになっていった。撮影するのはこの一枚だけで十分だと思った。
日が傾き始めていた。気温が少しずつ低くなってきている。もう森を出ようと思った。カメラをケースに入れて肩にかけ直し、立ち上がった。さっきまで小川の岩場にいた鹿は、もう姿を消していた。ぼくは小川の水を右手でひとすくいして飲んでから、来た道を歩き始めた。
家に戻り、おばあさんが夕ご飯をつくってくれている間、ぼくは暗室にいた。今日撮った鹿の写真を現像するためだった。フィルムを取り出して、リールに巻き付けてタンクに入れてから現像液、停止液、定着液と浸けていく。フィルムを取り出して今日撮った鹿の写真のネガを覗き込んでみた。全体的に白っぽくなっていて、どんな写真が撮れているのか詳細には分からなかった。一通りの工程を終えて、洗濯バサミでネガを留めて吊るしておいてから、暗室を出て、1階に降りた。
ちょうどおばあさんが夕食をつくり終えて食卓にお皿を並べてくれていたので、その間にぼくはお茶を淹れた。おかずには、ニラと牛肉を卵で閉じたものが盛られている。ぼくは座布団に腰を下ろして手を合わせて「いただきます。」と小さな声で言ってから、ニラと牛肉と卵を一緒に掴んで口に入れた。口の中に醤油の塩味と砂糖の甘みが広がった。それはとても優しい味だった。ぼくは、今日も森を抜け出すことができた、と思った。今こうしてご飯を食べている自分の存在を、ニラの甘みが口に広がっていくことによって丁寧に確認するように口を動かしていた。おばあさんとぼくは、特に言葉を交わすことなくご飯を一緒に食べた。ぼくは今日撮った鹿の写真を、早くおばあさんに見せたいと思った。晩ご飯の後、新しく現像した写真がある時にはそれを食卓に広げ、おばあさんはいつもぼくの写真を微笑みながら、1枚ずつ丁寧に見ていってくれるのだった。それがぼくは毎回とても嬉しかった。
ご飯を食べて洗い物を済ませてから、ぼくは暗室に戻った。ネガが乾燥したことを確認してから、今日撮影した鹿の写真を真っ先に引き延ばし機にセットした。露光する秒数を変更していって、焼き込みの具合を調整していく作業にとりかかる。3秒、4秒、5秒、6秒…と1秒刻みになるように1枚の中で短尺状に焼き込んでいく。この写真に写る景色の中で、自分が一番ドキドキする箇所はどこだろう。そこが最も綺麗なコントラストで浮かび上がっている秒数はいくつだろう。集中するほどに動悸が強くなっていく。この緊張感みたいな感覚が、写真の中で極限まで張り詰めてくれるように露光の時間や現像液に浸す時間などを調整していく。今日出会ったあの鹿が、一番生きていて、一番可愛くて、一番可哀想で、一番殺したくなるように印刷したい。
秒数が決まったら、いよいよイーゼルに本番用の用紙をセットした。先ほど決めた時間分光を当てて、用紙を現像液に浸す。用紙に像がふわっと浮かび上がってくる。決めておいた時間だけ浸けたら、停止液、定着液と順番に浸していく。ぼくは現像した写真を持って暗室を出て、本棚のある部屋に戻った。
本棚の横の壁に、写真を貼り付けた。写真に映っているのは、鹿の胴体だった。首の先から後ろ足のももの手前あたりまでが画面いっぱいに体だけが写っていた。それは筋肉の隆起が分かるほどだった。筋肉と脂肪が少ない部分では、骨の形を感じる。とても美しい肉体だと思った。もしこの肉体を食べたら、どれだけ美味しいのだろうか、と想像した。写真の中心は、肋骨の3番目と4番目の間あたりを捉えている。その肋骨の隙間に潜っていくと、そこには温かく躍動する心臓があるはずだ、と思った。ぼくは印刷された写真を眺めながら、表しようのない気持ちよさを感じた。上を向いて目を閉じて、今度はあの時にファインダーで捉えた生きている鹿の肉体を想像する。しばらくそうして、気持ちよさに浸っていた。気持ちよさと同時に莫大な安心感を感じていった。
その夜、また秋山さんが夢に出てきた。秋山さんは雪で覆われた森の中の、少し開けた場所にいて、踊っている。ぼくはそれを目で追いながら必死に近付こうとするが、積もった雪が膝くらいの高さまで食い込んで、なかなか思うように近付けない。雪の中、汗がどんどんと出てきて、焦燥感が強くなる。踊りが終わってしまえば、秋山さんはいなくなってしまうかもしれないという不安で、さらに足がもつれていく。結局秋山さんの場所に辿り着けないまま目を覚ました。体を起こしてみると、汗だくになっていたことに気付いた。
無性に秋山さんに会いたくなった。この二年間で特に最近、秋山さんの夢を見ることが増えていた。ぼくは集落を出て、さらに北に向かうことを計画し始めていた。ここでの生活はとても心地よく、おばあさんとずっと一緒にここで暮らしたいという気持ちもあったが、それでもその計画のことを頭から振り払うことはできなかった。ここからさらに北に向かって、さらに深い森の奥のそのまた奥に行けば、そこに秋山さんがいるのではないかと段々と思うようになっていた。冷静に考えればそんなはずはなく、秋山さんは東京に住んでいるはずだったし、森に1人で住んでいるわけはなかった。ましてやおばあさんや、その他の集落の人たちにも、この先の冬山はとても危険で、生活するどころか行って戻ってくることさえ難しいと言われていた。それでもぼくはもう、北の森に向かう衝動を抑えることができなくなってきていた。
ぼくは本棚から白紙のノートを取り出した。これまで撮り溜めた動物の写真を、ノートに順番に貼っていった。最後に、昨日撮った鹿の写真を貼って、ノートを閉じた。それはぼくにとっての最初の写真集であり、作品だと思った。ぼくは達成感や満足感というよりも、安堵したような感情になった。そのノートを見つめて、ぼくはとても安心していた。その時にふと、今日朝ごはんを食べ終えたら、北に向かって発とうと思った。
1階に降りると、炊き立てのご飯のいい匂いがした。ぼくは奥の台所にいるおばあさんに「おはよう」と言った。おばあさんも「おはようね」と返してくれた。朝ごはんは、茄子を漬けたものと、ご飯と、お味噌汁だった。茄子はごろごろと大きく切られていって、もきゅもきゅとした食感がした。ぼくはおばあさんのつくる料理の、大きく切られた茄子が大好きだった。ぼくはいつもよりゆっくりと、ご飯とお味噌汁を口に運んで、味わった。ぼくが今日発つことをおばあさんは知っているだろう、と思った。もしそのことに確証がなかったとしても、ぼくがいなくなったことに何の違和感も持たないだろう。あたかもそれが、自然によって決められた、そうなるべき姿だったかのように思うだけだろう、と思った。
ぼくは朝ご飯を食べ終えて、食器を洗って、棚に戻した。おばあさんはその間に、先に畑に行ってくると言って家を出ていた。2階の自分の部屋に戻り、身支度を整えた。リュックに最低限の防寒具と水と食糧を詰めた。必要最低限の物だけにしようと思った。森を抜けることになったとしてこの村に帰っては来ないだろうと思ったし、そもそも森から帰ってくるのかどうかについて、ぼく自身もあまり分かっていなかった。森で死んでも何も不思議ではないとさえ思っていた。計画はなく、その上とても危険であることも分かってはいたが、北の森に向かうことが自分にとって、今とても重要であるということだけが分かっていた。
ふと机の横の箱が目に入った。いつも使っていたカメラが名残惜しかったが、そもそもが自分のものではないのだし、きっと息子さんが旅立つ時もこうして置いていったのだろう、と思った。ぼくは箱の前に座り、いつも使っていたカメラとレンズを丁寧に磨き直して、箱の中にしまった。
厚手のジャンパーを着てからリュックを背負い、1階に戻った。いつもおばあさんがすわっている席の机の上に、今朝つくった写真集のノートをそっと置いた。おばあさんはきっと、ぼくが撮った写真を微笑みながら見てくれるだろうと思った。そして、2階のぼくの部屋の写真集と小説の並ぶ大きな本棚に、そっと並べておいてくれるだろう。そしてまたぼくみたいな人間が現れた時には、その人は2階に上がっていって、この写真集をぼくと同じように机に広げてじっと見つめてくれるかもしれない。そしてまたしばらくしたら、その人もどこかに旅立っていくのだろう。ぼくは自分のつくった写真集のノートを見つめて安心した気持ちになって、その安らいだ静かな気持ちのまま商店を出た。
第六章 木が、風が、地面の感触が、
集落の建物が密集する場所を抜けて、さらに田んぼや畑が広がる場所も抜けて、森の入り口に着いた。いつも入っている北側のルートから、森に入っていった。ひんやりとした感覚を覚えながら、この二年間で探索したルートのうち、真っ直ぐ北へ向かうルートをどんどんと進んでいった。そのまま、昨日新しく開拓したルートを進むことにした。やがて、鹿が水を飲んでいた小川のある岩場に辿り着いた。
ここで昨日まじまじと見つめた鹿の肉体を思い出して、ぶるっと体が震えた。ぼくは鹿のいた岩場に登っていった。岩に手をかけながら、何とか上まで辿り着いた。鹿のいた場所に立ち、その時の鹿の肉体を思い出しながら、ぼくも前足を地面について、四つん這いになってみた。そのままの体制で、小川の水を飲んだ。ベロを突き出し、水を口に運ぶようにして飲んだ。小川の水は冷たく、喉を通ってぼくの体内の器官を冷やしていく温度が伝わる。その冷ややかな感覚を敏感に感じとるほどに、今飲んだ水がぼくの体に染み渡って、1つになっていくということを感じた。
この先はまだ進んだことのない道だった。しかもこれまでとは違い、「帰ってくる」ことを前提に進む必要はなかった。そのことを考えると、急に別の緊張感が生まれた。それは死に近付いていくという感覚のする張り詰めた空気だった。ぼくは太陽の位置から方位を確認して、そのまま小川を上流に向かっていくように、北へ足を進め始めた。
休憩を挟みながら、一日中森を歩いた。もう自分が集落からどれくらい離れていて、地図上のどこあたりにいるのかも全く分かっていなかった。日が暮れ始めたので、少し平らになっている場所を見つけて、そこで野宿することにした。リュックに詰めてきていた食料も、さほど多くはなかった。このままだとあと1、2日もしない間に尽きて、餓死するだろう。それでも進まなければいけない、と思った。自分ではなぜかは分からなかったが、それは確信に近い感覚だった。ぼくは寝袋に入って目を閉じた。おばあさんは今頃ぼくの撮った鹿の肉体の写真を見て微笑んでくれているだろうか。ぼくはその情景を想像して、とても嬉しくなった。そして、秋山さんに会いたいと思った。
次の日も、早朝から北に向かってひたすらに森の中を歩いた。もう絶対に戻ることはできないだろう。ぼくはそのことに恐怖を感じつつも、自分の進むべき方向にもう迷うことはなかった。木が、風が、地面の感触が、ぼくの進むべき方向を教えてくれていると思った。それは、何か事前に目的を設定して、そこに到達するために計画を立てていくことではなかった。今のこの瞬間の連続こそがぼくにとっての最大の目的であり、それを最大限感じることがぼくにとって命を真剣に生きるということだった。過程は目的のためにあるのではなく、過程のために目的があるのだと思った。今のぼくにとって目的とは、過程のスナップショットのようなものに過ぎないと思った。
日没が近付いてきて野宿する場所を探していた時、少し開けた場所に山小屋のような建物があるのが見えた。橙色の明かりが薄く灯っており、人の気配があった。寒さをしのぐ場所が必要だったため、泊まらせてもらえないか尋ねてみようと思い、ぼくは山小屋に近付いた。家の前に立ち、木の扉をノックしてみた。ノックを合図に中がしんと静かになってから、扉がゆっくりと少しだけ開いた。その隙間から男性が顔の一部だけを覗いて、こちらをジロと見た。とても警戒していることが伝わってきた。
「…どなたですか。」
男性がぼくに尋ねた。
「あの、近くの集落から森を歩いて、ここに偶然辿り着きました。今夜だけでよいので、ここに泊めては頂けないでしょうか。」
男性は何も答えずに、しばらくこちらをじろじろと点検するように下から上まで見ている。少し間をあけてから、男性が言った。
「寒いですよね。とりあえず入ってききましょうか。」
ぼくに敵対心がなく、身なりからして大した武器も持っていないと判断されたのだろう、家の中にあがらせてもらえることになった。家の中は一人暮らしのワンルームよりは少し広いくらいの空間で、この男性がここで自分の思うような快適な暮らしをしようと工夫していることが伝わってきた。おそらく男性自身によって壁に取り付けられた棚、並べられた不揃いのマグカップ、窓際の木彫りの動物、無造作に積まれた本、壁には猟銃も立てかけられていた。この家に入った瞬間に、ぼくはこの男性のことがとても好きだと思った。
「そこに座ってください。コーヒーとお茶どちらがお好きですか。」
「ありがとうございます、コーヒーを飲みたいです。」
男性は頷いて、コーヒーを淹れ始めた。その間会話はなく、ぼくは部屋を見回しながら、立ってくるコーヒーの香りを味わっていた。淹れ終わったコーヒーを机に置いて、男性が向かいに座って言った。
「皆藤といいます。ここに住んでもう6年ほどになります。」
ぼくも自己紹介と、ここに来た経緯を簡単に説明した。東京に住んでいたこと、近くの集落で2年ほど暮らしながら写真を撮っていたこと、森を歩いて偶然ここに辿り着いたこと。皆藤さんは、明確な返答をするわけでもなく、じっとぼくの目を見て頷きながら話をきいてくれた。
「皆藤さんは、なぜここに?」
6年もこの森の奥に住んでいる理由が気になって、きいてみた。皆藤さんはどこから話せばいいのかについて整理するように、ゆっくりと言葉を選びながら話した。
「私は人との関係性をうまく保つということが、昔から苦手でね。ぼくが生まれて育った場所はどこも、そんなこと人間として出来て当たり前のことであって、それが出来ない人間は無理にでも出来るようにならなければいけなかった。そういう生まれ持った欠けみたいなものを、みんな必死になって埋めていかないと生きてはいけなかった。欠けていることは、周りと比べて変なことであって、変であることは迷惑をかけてしまうことだっていつも言われてきたような気がしているんだ。私はそのことに疲れてしまって、我慢ができなくて、逃げて、逃げて、逃げた結果、こんな場所に辿り着いてひとりで暮らすことになったというわけなんだ。」
ぼくがここに辿り着いたのも、同じようなものかもしれないと思った。ぼくは東京で仕事をしていた頃の自分から、根本的に何かが変わってしまったんだと思った。
ぼくと皆藤さんはそのまましばらく話し続けていたが、途中で皆藤さんが「そろそろお腹が空いたよね。」と言って、お昼につくったらしいビーフシチューをお皿に盛り付けて出してくれた。バターの効いたこってりとしたビーフシチューを、バゲットに載せて食べた。絶品だった。ぼくは益々皆藤さんのことを好きになった。
シチューを食べ終えた後も、ぼくと皆藤さんは赤ワインとジンを飲みながら話し続けた。
皆藤さんは元々千葉で生まれて、東京で育ったと話してくれた。家庭もある程度裕福で、両親も仕事を含めてしっかりしている方のようだった。皆藤さんは東京の有名な大学を卒業し、貿易関連の仕事をしていたということをぼくに話してくれた。
そしてぼくも、とても些細なことも含めた、ここ数年で起こった出来事のことについて皆藤さんに話したくなった。ぼくのそれまでの東京での仕事について、白いゴツゴツとした壁のこと、秩父で出会った水道管とトンネルのこと、度々現れる神社のこと、集落での暮らしとおばあさんのこと、カメラと動物のこと、そして秋山さんのこと。皆藤さんに話しながら、全てのことが繋がっていくような不思議な感覚を持った。
そして、ぼくがここに来た理由について、ごく自然な流れで話をした。ここに来た本当の理由について伝えるかどうか迷っていたが、皆藤さんになら話してもいいと思った。
「ぼくは、その秋山さんに、会いに来たんです。勿論こんな森の中に1人でいるはずはないし、何を馬鹿げたことをと思われるかもしれませんが、それでも秋山さんがこの森の奥にいて、そこに向かっていくことをもう止めることはできないんです。」
皆藤さんはじっと考えてから、言った。
「私は今日君がここに来てくれて本当に嬉しいんだ。人とこんなにたくさんのことを話すのは久しぶりだし、何よりも君と話すのはとても楽しい。ここにいつまでも居てくれてもいいと思ってるくらいなんだ。」
ぼくも皆藤さんといる時間がとても楽しくて、話に夢中になってしまうとすぐに夜が明けてしまうのではないかと思うくらいだった。ずっとここに居たいと思った。だけどそれは出来なかった。ぼくは森の奥に進まなければいけない。
ぼくがそのことを伝えたとき、皆藤さんはぼくの黒目をじっと見ていた。そして寂しそうな顔をして言った。
「森の奥に、その秋山さんという人がいるなんて信じられないと思ったけど、今、分かったよ。君ならきっと会えるんだろうね。森の奥で、秋山さんに。それが君の持つ特別な力なんだね。」
そう言って皆藤さんは、
「そろそろ、寝ようか。」
と呟いて、床にぼくの布団を敷いてくれた。皆藤さんはベッドに入り、ぼくがいる方とは逆に向いて布団を被った。ぼくは布団に入って、天井をしばらく見つめていた。
ぼくが目を覚ますと、皆藤さんはキッチンに向かってコーヒーを淹れていた。
「よく眠れたかい?」
こちらを振り向かずに皆藤さんが言った。ぼくは
「はい、とても。」
と返事をしてから、体を起こして椅子に腰をかけた。
「今日はケニアのコーヒーにしたよ。君の出発を見送るのにぴったりだと思ったんだ。」
そう言って皆藤さんは、湯気が立っているマグカップを2つ机に置いて、ぼくの向かいに腰掛けた。ぼくはお礼を言ってマグカップに手をかけた。カップに唇をつけた瞬間に、オレンジのような明るい香りが鼻の奧の空間に広がっていった。一口飲んでみると、もっと濃厚でコクのあるブラッドオレンジのような香りがした。このコーヒーを飲んだ瞬間、ぼくが当てもなく歩いた森の、風や、木や、地面の感触が教えてくれたのはここのことだったんだなと、納得するような気持ちになった。ぼくはここに辿り着けて本当に良かったと思った。自然のことを、そしてぼくの感覚のことを、寸分も疑わずに信じて歩き続けることができたからだと思った。
皆藤さんもコーヒーをゆっくりと一口飲んでから、言った。
「君がここにこのタイミングで来てくれて、本当によかった。私は君の出発を見送った後、街に出かけてくるよ。君と出会えて、私は私の今やるべきことが分かったんだ。今朝、夢でそれを見たんだ。君に触れたことで、忘れていた私自身の大切な何かが掘り起こされてしまったという感じがするんだ。」
ぼくはそれをきいて、とても嬉しい気持ちになった。そしてぼくも皆藤さんに、自分の素直な気持ちを伝えた。ここに辿り着けたこと、皆藤さんと話せたこと、ここ最近でぼくに起こった全てのことが繋がり始めている感覚を持ったこと。皆藤さんは微笑んで頷きながらきいてくれた。話をきいている間、じっとぼくの目を見てくれていた。皆藤さんの黒目には、ぼくが映っていた。
コーヒーを飲み終えたら、身支度を手早く済ませた。名残惜しかった。ずっとここにいたいという欲求が自分の中に生まれ始めていることを確かに感じる。皆藤さんとの生活はきっと毎日刺激的で楽しいだろう。その欲求を優しく肯定してあげるような気持ちになりながら、ぼくは立ち上がった。皆藤さんもぼくに合わせて立ち上がり、先に入口の方まで歩いて行って、家の扉を開けてくれた。ひんやりとした風が入ってきた。皆藤さんが言った。
「君ならきっと会えるさ。森の奥には、きっと君の会いたい人がいる。それは、君が行くなら、そこにその人がいるということなんだろうね。それは君の特別な力なんだ。」
一息置いてから、続けて皆藤さんがぼくに言った。
「私はずっと君の友人だ。ここでなくても、私に会いたいと思ったときにはいつでも現れるよ。」
そう言って、皆藤さんはぼくの肩に手をかけて、そのあと背中を優しく押した。ぼくは押された勢いを大切にとっておくような気持ちで、そのまま皆藤さんの家から足を踏み出した。振り返らずに数歩足を前に進めた時、後ろから扉を閉める音がきこえた。
ぼくは再び森に入っていく緊張を感じていた。早朝なのに、森の入り口はとても暗かった。それでももう、止めることはできないと思った。ぼくは目を閉じて、自分の中にある感覚に耳を澄ませた。しばらくそうしてから、また目を開けて、暗い森のさらに奧へと足を進めていった。
<終>